先日の霜月御神守(しもづきごじんじ)で、ちょっと僕にとっては衝撃的なことがありました。
毎年この日は神社で屋敷の祠に祭る神様を貰ってきて氏子に配って歩くのですが、この神さまのパッケージには2つアイテム(どちらも似たような感じなんですが)が入っています。これをくるっとわら半紙で巻いたものが1セットになっています。
僕の家には祠がないのであまり気にしてはいませんでしたが、余った神さまを返しにいった時に宮司の奥さんにこの2つのアイテムの意味を聞いたところ、一つは神さま本体で(大きいほう)もう一つは、神さまを納める時にお祓いをするものなんだそうです。
(何というのでしょう?幣(ぬき)?御幣(ごへい)?棒に白い紙「紙垂(しで)?」が付いていてシャッシャッって神主さんがやるあれです。)
「一緒にこのまま納めちゃう人もいるし、ひとそれぞれだよ」と、おっしゃっていました。確かにつまむようなかわいいモノですが、小さな白い紙垂がついています。ひゃ〜・・・神主を呼ばなくても、自分で簡単にできるお祓いインストーラー付き付き氏神様だ!
でも、あえて正確にやろうとすれば
そもそも祠(ほこら)って何だ?
祠とはそれ自体が神さまなのではなく、神様を祭る箱のようです。そしてその中に祭る屋敷神はウィキペディアによると、
屋敷神は屋敷およびその土地を守護する神で、屋敷の裏や敷地に付属した土地もしくはやや離れた山林などに祀られることが多い。その呼ばれ方は地域によって様々である。家との関わりが深い神であるが、神棚などの屋内神とは異なり、原則として屋敷の中には祀られない。屋敷神を祀る信仰は、浄土真宗の地域を除いて全国に分布している。
屋敷神の起源は明確なことは分かっていない。しかし、後述するように、神格としては農耕神・祖先神と同一の起源を持つ神だと言われている。特に祖先神との深い繋がりが指摘されている。
日本では、古くから死んだ祖先の魂は山に住むと信じられてきたが、その信仰を背景として、屋敷近くの山林に祖先を祀る祭場を設けたのが起源だと考えられる。古くは一般的に神霊というものは一箇所に留まることはなく、特定の時期にのみ特定の場所に来臨して、祭りを受けた後、再び帰って行くものだと信じられてきた。そのため、山林に設けられた祭場は当初は祠などではなく、祭祀のときのみ古木や自然石を依代として祀ったものだったと考えられる。祠や社が建てられるようになるのは、神がその場に常在すると信じられるようになった後世の変化である。屋敷近くの山林に祀られていたのが、次第に屋敷の建物に近づいていって、現在広く見られるような敷地内に社を建てて祀るという形態になったと思われている。屋敷神が建物や土地を守護する神がと信じられるようになったのは、屋敷のすぐそばに建てられるようになったからだと考えられる。
とあり、祭られる神様は神あり仏ありでいろいろなようです。
神様システムはいつも最先端
祠が「神様を祭る箱」ということは、現代で考えてみるとコンピューターに例えられそうです。と、すれば「祭られる神様」は、ソフトウェアにあたります。祭られる神様がいろいろであるということは、つまり氏神様ソフトのシェア争いが昔から行われていたんだろうな・・・と、想像できます。
毎年最新型に更新されるこの氏神様のパッケージは、インストーラー付き氏神様ソフト2011(Microsoft Office 2011みたいな)だったのです。
各ホスト(この場合は色々な神社やお寺)が、PC(この場合は屋敷の祠)にインストールされるシェアを争って、より大きなネットワークを作ろうとしていたんだなあ・・・と思います。今もあちこちで見る感じです。
昔からある、よっぽど良い、完成されたモデルなので、後から誰が作っても組織を、大きく、広くしていく過程で神社仏閣ネットワークモデルになんとなく似てきちゃうんでしょうね。
それにしても、山にあり、一箇所に留まることのなかった神さまを、人間の便利のために祠を建てて固定し、さらには山林が遠いということで、村の近くに持ってきた。
さらにさらに村の近くの神社も気軽に行くには遠い・・・という声を受けて、家の屋敷神を祭っていた祠を神社端末として利用することを提案し、氏神様がインストールされた・・・ネットで墓参りを「世も末だ」と嘆いている人は考え直さないといけないかもしれません。
神社も寺も大昔からその都度、人々の要求に応えてバンバンネットワーク化や簡素化を行っていたんですね。