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どうせ今日はテレビもラジオもネットニュースも地震の話題なのだから・・・

朝、天気が悪く暗くて寒くて、目覚めた時に地震の日を思い出しました。「どうせその日はテレビもラジオもネットニュースも地震の話題なのだから」今日はいつも通り・・・と思っていたのだけど、方針変更です。

テレビもラジオもネットニュースもきっと「今日くらいは」という気持で、普段忘れている分の埋め合わせをしているのでしょう。

3.11、寒かったよなあ・・・

色々地震のことを思い出しています。

薪ストーブは余震が恐くて使えないし、結局夜はテント泊だったっけ。

夜、運動場の駐車場にテントを張りました。普段だったら梢と空の境界が、ぼんやりと町の灯りで明るいのですが、この日はホントに真っ暗。寒空に降るような星です。テントの中のLEDだけが唯一の人工的なあかりです。

夜、運動場の駐車場にテントを張りました。普段だったら梢と空の境界が、ぼんやりと町の灯りで明るいのですが、この日はチラホラと居た人も少し下の市民センターへ行ってしまったのでホントに真っ暗。寒空に降るような星です。テントの中のLEDだけが唯一の人工的なあかりです。

ブログを見直すと、翌日には発電機を回してルーターに電気を供給し、ノートブックでここを更新している・・・
とあったけれど、停電していても電話は生きていたんだな。

5年経ち、水戸の市内も地震で壊れてまだ取り壊していないような家はさすがに少なくなったけど、考えてみればウチだって地震で半壊して結局壊してしまった作業場を再建できていないし、骨折などのケガが直っても以前とまったく同じにはならないように、傷跡は内に外にいつまでも残るものなのでしょう。

作業場はお金がなかったのでこつこつと瓦を降ろし、壁をハシゴで落とし、チマチマと仮置場に運んで骨組みだけにして最後だけ業者に壊してもらったっけ。

壊れたブロック塀やら

壊れたブロック塀やら

作業場の瓦なんかを恐い思いしてコツコツ運んで・・・

作業場の瓦なんかを恐い思いしてコツコツ運んで・・・

そんな人が多かったのか、運動公園のグラウンドは山になって・・・

そんな人が多かったのか、運動公園のグラウンドは山になって・・・

こんなに高くなってたっけなあ・・・

こんなに高くなってたっけなあ・・・

材木は材木でこんなになっていたなあ

材木は材木でこんなになっていたなあ

作業場の取り壊しでコウモリも影響を受けた

コウモリはまるで太陽の光と人間におびえるように、頭を抱えて震えていた。

コウモリはまるで太陽の光と人間におびえるように、頭を抱えて震えていた。

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考えてみれば当たり前の事ですが、地震で影響を受けたのは人間だけでなく、動物も多少なりとも影響を受けてしまっているということですね。

そんなこともすっかり忘れていました。

「復興」とか「再建」って、その傷跡があることを忘れてしまうってことなのかもしれません。

ただ、今日みたいな機会にそれを思い出すことは、再び同じような災害が起こったときに自分や家族を守るために必要なのでしょう。

だって、車に積んでおいたインスタントラーメンやペットボトルの水など、相当古くなっちゃってます。食料にいたっては数年後喰ってみたら相当マズくなっていたので(もうそれは一口ですぐににわかるほど)もう載っけてないですし・・・記憶が明らかに風化してます。

ただ呆然として・・・

寒かったという記憶しか残っていません。

じしん・・・とタイプすると「自身」と変換されます。当時は当然「地震」って変換されるのに・・・5年ってそういう時間なんですね。

とにかく僕は避難バックから懐中電灯を取り出したら、当時はそうしていたように必ず戻すようにしましょう。最近出したら出しっ放しのことが多かったですから・・・

ヒマな方は僕みたいに下記のリンクで地震の記事を読み返してみてください。

地震当時の島地区の様子

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