幕末の工作機械の寿命にびっくり!@国立科学博物館

見に来るお客さんが少ない休みの日はテキトーな話題でお茶を濁します。(寝坊しちゃったし)

今日は国立科学博物館で開催されていた、明治150年記念、日本を変えた千の技術博という特別展で見たものいろいろ・・・その番外編。特別展以外の通常展示で見た、幕末〜明治の工作機械いろいろです。

 

金属製の巨大な工作機械。フライス盤のようなボール盤のような・・・古く見えますがまさか江戸時代のものとは・・・幕末に輸入された工作機械、堅削盤(たてけずりばん)です。
金属製の巨大な工作機械。フライス盤のようなボール盤のような・・・古く見えますがまさか江戸時代のものとは・・・幕末に輸入された工作機械、堅削盤(たてけずりばん)です。

 

幕末に輸入された工作機械 堅削盤(たてけずりばん) 1863年 NSBM(オランダ蒸気船会社)製 上下動する刃物で工作物に溝を切る機械。1863(文久3)年、幕府の注文によりオランダで製作され、長崎製鉄所に納められた。その後集成館、深川造船所、若松車輛会社で使用され、1998(平成10)年までの130年以上の間現役で稼働し続けた。 とあります。明治時代の工作機械というのでもビックリですが、その後平成まで使われていたことにもビックリです。
幕末に輸入された工作機械
堅削盤(たてけずりばん)
1863年 NSBM(オランダ蒸気船会社)製
上下動する刃物で工作物に溝を切る機械。1863(文久3)年、幕府の注文によりオランダで製作され、長崎製鉄所に納められた。その後集成館、深川造船所、若松車輛会社で使用され、1998(平成10)年までの130年以上の間現役で稼働し続けた。

とあります。明治時代の工作機械というのでもビックリですが、その後平成まで使われていたことにもビックリです。

 

教科書には江戸と明治、ちゃんと章立てされて分けられているので、なんとなく実際の生活や文化もキッチリ違うような気がしていて、江戸は木造、明治は鉄・・・などと勝手に頭の中で整理してしまっていました。

 

でも、考えてみたら江戸の人が全部死んで明治になったわけでもないし、江戸の製品が明治になったら全部捨てられたわけでもありません。

 

生活する上では昨日の次に今日が来てちゃんと繋がっているんです。(もうめちゃくちゃあたりまえなんですが、なかなか実感し辛いところがありました)江戸の人達も今の僕たちと変わらない人間。その江戸の機械が現在まで使われていることは当然考えられるんですよね。それにしても驚いたーー

 

江戸時代のものではないですがこちらも工作機械。明治22年の旋盤です。
江戸時代のものではないですがこちらも工作機械。明治22年の旋盤です。

 

池貝鉄工所製第一号旋盤 旋盤 1889(明治22)年に池貝庄太郎・喜四郎によって造られた。現存する国産工作機械ではもっとも古いもののひとつである。当時、工作機械の多くは官営の機械工場などで試作される以外はほとんど輸入に頼っていた。民製の工作機械は珍しく、当時の一般の工学技術レベルを知る貴重な資料である。
池貝鉄工所製第一号旋盤
旋盤
1889(明治22)年に池貝庄太郎・喜四郎によって造られた。現存する国産工作機械ではもっとも古いもののひとつである。当時、工作機械の多くは官営の機械工場などで試作される以外はほとんど輸入に頼っていた。民製の工作機械は珍しく、当時の一般の工学技術レベルを知る貴重な資料である。

 

この旋盤、輸出していたのか英語のカタログがありました。
この旋盤、輸出していたのか英語のカタログがありました。

 

輸入機械のカタログです。内容が興味深いのですが、難解です。振ってあるルビがおもしろいので少し引用します。 スロッチングマシーン(ステッキ盤) 本機ハ急速(クイック)二戻ル(レターン)装置(モーション)ヲ有シ平衡重量(バランスラム)ハ上下動ノ摩擦ヲ減シ「ストローク」ヲ均一ニスルノ装置ニシテ上下動ハ零ヨリ最大即チ下ノテーブル面迄ハ自由ニ加減スルヲ得ベシ ルビをカタカナ英語にしてるってどうなんでしょう?理解できるのかな?
輸入機械のカタログです。内容が興味深いのですが、難解です。振ってあるルビがおもしろいので少し引用します。
スロッチングマシーン(ステッキ盤)
本機ハ急速(クイック)二戻ル(レターン)装置(モーション)ヲ有シ平衡重量(バランスラム)ハ上下動ノ摩擦ヲ減シ「ストローク」ヲ均一ニスルノ装置ニシテ上下動ハ零ヨリ最大即チ下ノテーブル面迄ハ自由ニ加減スルヲ得ベシ
ルビをカタカナ英語にしてるってどうなんでしょう?理解できるのかな?

 

フラーター新式旋盤 米国フラーター会社製 これもカタログです。カタカナまじりの文で読み辛いです。
フラーター新式旋盤 米国フラーター会社製
これもカタログです。カタカナまじりの文で読み辛いです。

 

ドリルやドリルシャンクのカタログ。今と全く同じに見えます。すごいゾ明治!
ドリルやドリルシャンクのカタログ。今と全く同じに見えます。すごいゾ明治!

 

巨大なエンジンです。今も見かける発動機を大きくしたような形。
こちらは巨大なエンジンです。今も見かける発動機を大きくしたような形。

 

明治の時代、帝国大学工科大学で研究に使われた、オットー4サイクル内燃機関です。
明治の時代、帝国大学工科大学で研究に使われた、オットー4サイクル内燃機関です。おもしろいのはシリンダーが割れちゃったのか、溶接して埋めてあります。それでちゃんと動いたのかなぁ・・・

 

帝国大学工科大学で研究に使われた、オットー4サイクル内燃機関 クロスレー社(イギリス)製 ドイツ人オットーによって考案された初期の4サイクル内燃機関(エンジン)。1887(明治20)年ごろイギリスより輸入された。欧米でもまだ蒸気機関が主流の時代に、すでに日本で内燃機関が研究されていたことを示す貴重な資料である。 内燃機関の研究 1870年代にオットーが高効率のガスエンジンを、1880年代にダイムラーがガソリンエンジンを、1890年代にディーゼルが重油を用いることのできるディーゼルエンジンを開発した。まさに19精機末は内燃機関の夜明けだったが欧米に遅れることなく日本でも研究が進められた。研究者の講義ノートが本として出版され、現場の技術者に体系的な知識を与えた。 とあります。
帝国大学工科大学で研究に使われた、オットー4サイクル内燃機関
クロスレー社(イギリス)製
ドイツ人オットーによって考案された初期の4サイクル内燃機関(エンジン)。1887(明治20)年ごろイギリスより輸入された。欧米でもまだ蒸気機関が主流の時代に、すでに日本で内燃機関が研究されていたことを示す貴重な資料である。

内燃機関の研究
1870年代にオットーが高効率のガスエンジンを、1880年代にダイムラーがガソリンエンジンを、1890年代にディーゼルが重油を用いることのできるディーゼルエンジンを開発した。まさに19精機末は内燃機関の夜明けだったが欧米に遅れることなく日本でも研究が進められた。研究者の講義ノートが本として出版され、現場の技術者に体系的な知識を与えた。

とあります。このオットー内燃機関は石炭から作ったガスで動くエンジンだったようです。

 

優秀なものが残り、粗悪なものは淘汰されているのでそのように感じるのかもしれませんが、江戸や明治の人達って優秀で前向きだと感じます。何ができるかわからないですけど、自分も頑張らなくちゃなあ・・・と、ちょっとは思います。

 

今日はこんなところです。また明日!

上の記事とゆるく関連しているほかの記事:

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です