今日は国立科学博物館で開催されていた、明治150年記念、日本を変えた千の技術博という特別展で見たものいろいろ・・・その番外編。特別展以外の通常展示で見たブログのテーマにぴったりの稲の展示その2です。
昨日はヒトの世界はもちろん、技術の世界にも多様性が必要なように、イネの品種についてもひとつの品種に偏ることのない多様性が必要だよというお話でした。

旭
明治・大正期の代表的な品種 南日本に普及した。

明治・大正期の代表的品種。当時の三大品種のひとつ。
中:亀の尾
明治・大正期の代表品種。多くの良食味品種のルーツ。
右:農林1号
昭和初期の代表品種。コシヒカリの親。

昭和20、40年代の代表品種。コシヒカリの親。
右端:日本晴
かつての主力品種で多収性で栽培しやすい。

宮城を中心に東北の良食味品種。現在は減少。
中:ひとめぼれ
東北地方の主力品種で耐寒性が強い。
右端:ヒノヒカリ
西日本の主力品種で食味が良い。

弥生時代、北部九州に伝わった水田稲作は、時を経ずして本州最北端の青森県まで到達した。しかしながら、その後永きにわたって、津軽海峡を渡ることはできなかった。北海道での稲作は一部を除き1799(寛政11)年以降の蝦夷地幕府直轄統治時代、幕府の積極的施策により道南地方でほぼ定着する。その後、1873(明治6)年に中山久蔵が恵庭市島松で赤毛種を用いた稲作に成功して、石狩・空知地方に稲作が普及する。1886年に北海道庁が設置されて以来、稲作に関する試験研究が本格的にスタートした。そして、1915(大正4)年には、北海道農事試験場で、多収、良質、いもち病耐病性、寒冷気象に耐える早熟性などを目標に、組織的な育種が開始された。
とあります。

採用年:1905(明治38)年←読みにくいので間違っているかも
北海道での稲作開始期に用いられた在来種。
左から2番目:坊主
採用年:1909(明治42)年
赤毛から改良された品種で、栽培可能地が飛躍的に拡大した。
その隣は走坊主と続く

採用年:1924(大正13)年
人工交配による北海道初の品種。
左から3番目:富国
採用年;1935(昭和10)年
初の北海道以外の品種との交雑種。当時の道内作付け1位。
左から3番目:ゆきひかり
採用年:1984(昭和59)年
以前の奨励品種のひとつ。冷害に強い。
右端:きらら397
採用年:1990年
長所は良食味であり、初期生育が良く、穂数確保が容易(読めなかったのでウィキペディアより)
人々の求めるイネを、作付けしやすい気候の場所はもちろん、長いことイネ自体を作れなかった北海道でも作れるように改良してきた長い歴史があるということですね。
そういえば本展の中でもその技術は紹介されていました

タイトルは、陸羽132号なくして皆のご飯なし!

農林1号 籾 1931(昭和6)年品種登録
農商務省農事試験場陸羽支場において森多早生と陸羽132号を交配し、雑種第5代種子から新潟県農事試験場で育成された。陸羽支場では稲塚権次郎らが、新潟では並河成資や鉢蝋清香らにより育成された。
第二次世界大戦前後の食料生産に貢献し、その後の多くのイネの祖先となった。
中:陸羽132号 籾 1921(大正10)年品種登録(陸羽132号)
陸羽20号と亀の尾4号から「交雑育種法」によって陸羽支場で寺尾博、仁部富之助や稲塚権次郎らによって育成された。陸羽132号は亀の尾よりも冷害に強い。
右:亀の尾4号 籾(陸羽132号の親)
冷害に強い「亀の尾」からの純系分離で育成された品種。陸羽132号の親。「亀の尾」は、冷害でほとんどのイネが実らない中、実をつけた稲穂を発見した阿部亀次治が、その籾を原種として育成し誕生させた。
このように綿々とつながっているというわけです。これから先、温害?が続くようなことがあっても、それに備えて日本を救うイネの品種が研究されているのでしょうね。
今日はこんなところです。また明日!