今日は、北海道上富良野町にあるスガノ農機の『「土の館」 土と犂の博物館』で見た鍛冶屋さんの頃作っていた昔の道具、農具です。
正面の額には3代目の言葉が掲げられています。
白の道
耕すをもって
農業参画極めるにあり
良い土作物勝手に育つ
このシンプル原点回帰の挑戦
同志自我を捨て
内なる精神向上総合自主の道
これ自尊自栄に非ず
権力強制にも非ず
まして会社主義にも非ず
白一連の働きは
和して同ぜずを求め
同して和とすの否定なり
これ白の道
日本のプラウ極める之の道也平成五年
三代目 菅野祥孝
キャプションは
方形ハロー(砕土整地機)
プラウで土を耕した後、馬に挽かせて砕土整地をする農具。
昭和30年頃まで使われた。
キャプションは
すじ切り
肥料や種を蒔くのに馬に挽かせて畑に切り溝を付ける農具。
昭和30年代まで使われた。
考えてみればこれらの「刃」の部分、「爪」の部分、みんな鍛冶屋さんの仕事ですもんね・・・今で言ったらコンビニくらい「農業ある所に鍛冶屋あり」じゃないと当時は困ったはずです。
キャプションは
場耕用のプラウ
1932年(昭7)製造 1頭7分曳き
土づくりのため、より深耕すべく改良された豊治の傑作品。
各博覧会に入選合格・幾多の金牌を受賞する。
キャプションは
カルチベーター(除草機)
馬に挽かせて、畑の雑草をすじごとに除草する農具。(傾斜地用)
昭和40年代まで使われた。
キャプションは左から・・・
トラクタ用プラウ 国産一号機
1959年(昭34)16インチ×1連
この頃、日本にはじめて乗用トラクターがアメリカ、イギリス、西ドイツ等々から輸入が始まる。馬耕の3〜4倍の能率とより深耕できるようになった。耕耘機用プラウ
1959年(昭34)
馬耕からエンヂン付動力のプラウに時代は移る。
深耕高能率への機械化の幕開けを告げる。場耕用装輪プラウ 1頭7分曳き
1950年(昭25)
双輪がつき作業中の安定が良くなり、人は付いて歩くだけでよくなった。馬耕は1840kmは歩く作業であった。
刃物のみならず車輪や矩体なども冒頭の作業場で作り出したのでしょうか・・・すごいなあ。ちょっと想像もつかないけど、「無ければ作る」ニンゲンの頭脳はすばらしい!
山葵さん おはようございます
推理、ありがとうございます
ちっとも吸込みそうに見えない「吸込台」ですから、推理も難しいです
これを使って微妙なカーブを作り出したのでしょうか・・・
どうせなら一番重要なプラウを作っている所を再現してほしかったですね!
>吸込台
推測してみました。キーワードは吸込。
プラウが最初に地面を切り込んでいくエッジ面は弓なりに弧を描いています
(豊治が手がけた主な作品ショットが判りやすいと思います、後端はフリップボードに隠れていますが)
この弓なりの加工をサクションと呼びます。弓なり度合いはサクション角と呼ばれています。
その加工の目的はズバリ直訳で「地面を吸込むため!」
原理的には、もんじゃ焼きのヘラでアイスクリームをすくうよりスプーンですくい取ったほうがラクじゃん?
的な理屈です(うう・・うまく伝わるかな??)
このサクション角はプラウの効率や作業性のキモです。最重要数値と言えます。もちろん
プラウのサイズや用途別に細かく数値が決まっています。そしてこの吸込台はその数値を計測したり
数値を作り出して職人が鉄を加工して仕上げる目標としたりネジ機構で直接プレスしたりする装置と思われます
あ、でも全然違うかも!?
ノップ碍子の屋内配線、オシャレですね。居酒屋とかで見かけたりします。電線は今も当時もゴムと木綿で
絶縁されています。ちなみにこのような陶器の配線機器、新品で手に入ります。クリエーターさんが復活
させたようです。壁を貫通する陶管、碍子やクリート、ローゼットやスイッチ、安全器がリリースされています
昔の万力、これはこれで強烈な打撃力を惜しみなく与えることができて思わず欲しくなる逸品です
精密な作業用として現代の万力、とにかく叩いて直す作業用に昔の万力の2刀流がベスト。
写真の万力はリーフスプリングが付いていませんね。