去年はオオアラセイトウかな?なんて書きましたけど、色々名前があるそうなのでそのうちの一つムラサキハナナで・・・紫花菜って書くのだろうか? どうして植物の名前はカタカナ表記なんでしょう?
同じような紫の花ですけど、キングオブ普通のタチツボスミレよりはずっと背が高く花も大きいです。去年と同じくウィキペディアから引用してみると
オオアラセイトウ (Orychophragmus violaceus) は、アブラナ科オオアラセイトウ属の越年草。別名にショカツサイ(諸葛菜:諸葛孔明が広めたとの伝説から)、ムラサキハナナ(紫花菜)。このため Orychophragmus属はショカツサイ属、ムラサキハナナ属とも呼ばれる。
原産地は中国で、東部に分布し、東北および華北地区では普通に見られる。ヨーロッパ南部に帰化しているほか、日本では江戸時代に輸入されて栽培されたものが野生化し、全土で見られる。
生態
2月頃から成長を始め、3月から5月にかけて開花する。最盛期には50cmくらいまで直立する茎を伸ばす。5月から6月頃に種子が熟し、自然に、散布される。一年草だが繁殖力は強く、花が咲いて種が散布されると、翌年からは定着しやすい。
侵入生物データベース *1によれば、日本には観賞用および油を採取するため、遅くとも19世紀末には導入され、20世紀中頃から各地に広がった。戦前から戦後にかけて紫金草(シキンソウ)と称して広める活動をした人がいるという。同属では他に帰化した種はないとされる。農地の拡大や都市化の進行によっていったん衰退したスジグロシロチョウが、20世紀後期になって都市部を中心に個体群を増大させたのは、このチョウの食草として好適なオオアラセイトウの分布拡大の影響が大きいといわれている。
とあります
帰化を推進した人は茨城出身
もともと油をとるために入った植物だそうですが、花の美しさに紫金草(シキンソウ)と称して広める活動をした人は星薬科大学の前身である星薬学専門学校初代校長であるという記載をみつけました。生家が茨城県石岡市にあり、そこへ広めたのだそうです。この花は昔々石岡からやってきたのかもしれないなあ。
まさか後々侵入植物に指定されるなんて思いもしなかったでしょうね。進化の過程で人間が織込まれて美しい花を咲かせる植物が生き残ってきたということなのかもしれません。
今では学校の校花になっているんですって!