それまで人力で作っていた飛行場をアメリカでは農機で作る事に驚いた海軍が日本最初のブルドーザーである「けいてぃー」ならぬ「けーこ」を作らせたわけですが・・・
これも今や「けいてぃー」のオーソリティーDさんがネタ元です。コマツのウェブサイト(http://www.komatsu.com/ce/highlights/v08215/index.html)に誕生秘話が載っています。
口で言われたって・・・
見たものはいない
これを見てるととっても興味深いです。「けーこ」を作った山本さんが言うには、ブルドーザーについての外国の文献は多少あったみたいですが、写真資料は何もなかったそうです。つまりコマツの技術者にはだれも「けいてぃー」を見た者がいなかった。
ところがたまたまニュース映画を見ていてそれらしきものを見つけて、文献調べをするかたわら熱心に映画館通いをしたそうです。
「現場」は戦場にある
そしてついに戦地まで見に行ってしまう・・・宿舎はなく食事は缶詰と乾パンだけ・・・
その言葉がふるってます。「我々が見た機械は小さかった」ですって!
つまり、いつも機械は使われていたので遠くで見るだけ。できる事とといったら関係者に質問することくらいだったそうです。もしかしたらニュース映画で見るのと大してかわらない大きさでしかなかったかもしれません。
もう物資も国力もなくなりつつあった1938年の日本、その中で想像と観察をメインにこういった機械を造り上げたということはすごい事です。このサイトでは使われている「現場」を大事にするのだ・・・というような現場主義が歌われていますが、機械を作る「現場」の力を感じます。
日本最初の、そして一台だけ残った数奇な運命をたどった「けーこ」見に行って見たいなあ。みたらその雰囲気が感じられるかな?それともただの鉄のかたまりに見えるかな?