通りがかりにいくつかのサイズの簡易かまどが、薪に火をつけるばかりになって並んでいるのを見かけました。かまど総動員!「総員配置に付けっ!」といった感じで、見事に並んでいます。隊長の几帳面な正確がうかがわれます。その姿はまるで兵馬俑。
正月の準備で餅つきかな?
正月のモチでもつくのかな・・・と想像します。もち米を蒸すのには簡易かまどはぴったりです。早いし、燃料として燃やすものはここらあたりにはいくらでもありますし、だいたいガスなんか使ったらいくらかかるかわからない・・・
もち米を使った料理(?)このあたりで(どこもそうだと想像しますが)はお祭りにはつきものです。夏と秋のお祭りには必ず赤飯が供されます。お餅は正月だけなのかもしれませんが、これももち米を使ったものですね。
もち米とお祭りの関係って?
ちょっと調べてみるともち米はなぜそうなったかまではわかりませんでしたが、「ハレの食材」としての意味を持つということでした。お祝い事とか集まりなどで赤飯が出されることが多いことを考えると、これは理解できます。お正月にはお餅を食べるのも「ハレ」の日だからでしょうね。
「ハレ」と「ケ」
ハレ・・・というのをウィキペディアで調べてみると、「ハレ」と「ケ」の対の言葉として出てきました。
「ハレとケ」とは、柳田國男によって見出された、時間論をともなう日本人の伝統的な世界観のひとつ。
民俗学や文化人類学において「ハレとケ」という場合、ハレ(晴れ)は儀礼や祭、年中行事などの「非日常」、ケ(褻)はふだんの生活である「日常」を表している。
ハレの場においては、衣食住や振る舞い、言葉遣いなどを、ケとは画然と区別した。
猥褻の「褻」を辞書で調べてみる
柳田國男さんの言葉(遠野物語の一つ一つのお話の冷たい風が吹いて行くような終り方、好きです)だったんですか・・・晴れ着や晴れ舞台で「晴れ」という言葉にはなじみがありましたが、ケ「褻」というのにはちょっとなじみがなかったです。猥褻の「褻」ですね。
広辞苑で調べてみると、
「褻」晴れでないこと。おおやけでないこと。よそゆきでないこと。ふだん。日常。わたくし。
褻にも晴れにも 1:普段にも晴れ晴れしい折りにも。
とあります。
また、漢和辞典で調べると、普段着平服とあるのにならんで、あなどる、けがれる、またはよごす、けがす・・・とあります。
ついでに猥も調べてみると、1 ごたごたと乱れる。2 性に関して節度なく下品なこと。みだら。とあるので、「猥褻」とは、性に関して節度がない、普段から・・・のべつまくなし助平である(TPOをわきまえない)ということになりますねえ。
ふたたび「ハレ」と「ケ」に戻る
また脱線してしまった・・・「ハレ」と「ケ」です。(これ自体脱線してますけど)この「ハレ」と「ケ」は柳田先生の天才的な思考から生み出されたことのようで、これに対して「ケガレ」(褻枯れ)を加えろ!などという人も出たり、いろいろ異論はあるけれども「大体そうだ」ということになっているみたいです。・・・なるほど、なかなか興味深いです。
お葬式は「ハレ」?それとも「ケ」?
そういう議論の中で、お葬式は「ハレ」なのか「ケ」なのか・・・という議論があっておもしろいです。これを見た皆さんはどう思われますか?
僕はお葬式も結婚式と同じように「ハレ」だと思います。結婚式が「晴れの日」なのは間違いないでしょう。しかし、「晴れの日の行事」が必ずしも嬉しく楽しいものであるとは限りません。僕などはその口で、イヤでイヤでしかたなく、いわゆる「晴れの日の結婚式」はやりませんでした。
「結婚式」には「お披露目」という性格があると思われます。その「お披露目」は神さまに対してと人々に対しての2つの性格を持っているはずです。「お披露目」は必ずしも楽しくやりたいものばかりとは限らない。
狭い集落の中では「お披露目」は、一度にお互いがそのことに関してやり取りを済ませて、さっぱりとする儀式何じゃないかと思います。だから、お葬式も「ハレ」という意見なんですけど・・・
お祝いやお悔やみを言われそうな人をまとめて一同に集めて一気にやり取りを済ませてしまう。メンドクサイことは一気にやってしまい先へ進もう!という生活の知恵、それが「晴れの日」であり、「ハレ」なのだと思いました。
「ハレ」といっても、抜けるように明るいわけじゃなく、いろいろなモノが混じっていて、それを形式張っているとかってなかなか言えるもんじゃないんだなあ・・・と、今更思います。
近所に稲作があり、神事があり、人が少ないところに住んでいると今までよりプリミティブなものの考え方になりますね。これはこれでオモシロいです。