デヴィッド・ブラウン最初で最後のロゴマーク(?)は今も戦闘車両の中で生きていた!David Brown 885「撮りトラ」

こちらはブラッドレー歩兵戦闘車。

今日はhokkaidoujinさんの案内の中古車屋さんで見た、ピンクロゴのDavid Brown 885「撮りトラ」です。(写真少なめ)

 

デヴィッド・ブラウン885です。セレクタマチックでもインプルマチックでもなく、しかもCASEではないピンクロゴのDBを実際に見たのは初めてのような気がします。tractordata.comによれば、David Brown 885は1971年〜1980年、デヴィッド・ブラウン2.7L3気筒ディーゼルで47馬力/2200rpmとなっています。イングランド、メルサムミルズの工場でこの885が作られている時に、デヴィッド・ブラウンがCASE(当時テネコ)に買収されたとあります。 この885にはピンクのDBロゴバージョンと、CASEロゴの885のバージョンの2種類あるのですが、このピンクのロゴは、「1971年に生まれ、1972年にヴィッド・ブラウンがCASE(当時テネコ)に買収されるまでのわずか1年しか使われていなかった。」と僕は考えています。
デヴィッド・ブラウン885です。セレクタマチックでもインプルマチックでもなく、しかもCASEではないピンクロゴのDBを実際に見たのは初めてのような気がします。tractordata.comによれば、David Brown 885は1971年〜1980年、デヴィッド・ブラウン2.7L3気筒ディーゼルで47馬力/2200rpmとなっています。イングランド、メルサムミルズの工場でこの885が作られている時に、デヴィッド・ブラウンがCASE(当時テネコ)に買収されたとあります。

この885にはピンクのDBロゴバージョンと、CASEロゴの885のバージョンの2種類あるのですが、このピンクのロゴは、「1971年に生まれ、1972年にヴィッド・ブラウンがCASE(当時テネコ)に買収されるまでのわずか1年しか使われていなかった。」と僕は考えています。

 

正確なピンクのロゴの登場時期はよくわかりませんが、様々な機種の写真と製造年を突き合わせると、1971年〜と考えて良いと思います。

デヴィッド・ブラウンは、世界的な景気後退によるトラクターの売れ行き鈍化に多分苦しんでいて、心機一転と、今までの白地にただの黒文字から、ピンクのロゴマークとピンク文字にしたのではないでしょうか?

しかし、それもわずか1年でかなわず、1972年にCASEに買収されてしまった・・・というストーリー(僕の考える)です。

 

工具箱も今まで見た黒でもない、オレンジでもない、小豆色です。
工具箱も今まで見た黒でもない、オレンジでもない、小豆色です。

 

この機体はデヴィッド・ブラウン990ですが、ピンクロゴです。そして1971年型。(写真はWikipediaより)
この機体はデヴィッド・ブラウン990ですが、ピンクロゴです。そして1971年型。(写真はWikipediaより)この990、1972年にはCASEロゴに変わっているんです。最後に年表をつけるのでそれで確認してみてください。

 

今日たまたまそのピンクのロゴを見つけた!

 

DBのピンクのロゴが久々に気になって調べていると、あるWEBサイトが引っ掛りました。まるっきり同じで「パクってるの?」と調べてみると、正真正銘David Brownと関係ありそうです。トラクター部門や自動車部門は買われてしまいましたが、残った事業を再び軌道に乗せたのでしょう。 ウソかまことか300年にわたって世界をリードする、有数の機械動力伝達ブランドと書いてあるような気がします。そういえばWikipediaには、David Brownは1873年創業で、1800年代後半にギア伝達機構に特化し始めた・・・と書いてありました。
DBのピンクのロゴが久々に気になって調べていると、あるWEBサイトが引っ掛りました。まるっきり同じで「パクってるの?」と調べてみると、正真正銘David Brownと関係ありそうです。トラクター部門や自動車部門は買われてしまいましたが、残った事業を再び軌道に乗せたのでしょう。
ウソかまことか300年にわたって世界をリードする、有数の機械動力伝達ブランドと書いてあるような気がします。そういえばWikipediaには、David Brownは1873年創業で、1800年代後半にギア伝達機構に特化し始めた・・・と書いてありました。

 

こんなロゴになっています。
こんなロゴになっています。

 

ギア伝達機構の(今のところ何をさしているのかはわかりません。ミッションかもしれませんし、その他の機構のことかもしれません)スペシャリストというのは間違いなくて、イギリスが開発した主力戦車チャレンジャー2やブラッドレー歩兵戦闘車のトランスミッションを担当したそうです。
ギア伝達機構のスペシャリストというのは間違いなくて、イギリスが開発した主力戦車チャレンジャー2ブラッドレー歩兵戦闘車のトランスミッションを担当したそうです。

 

こちらはブラッドレー歩兵戦闘車。
こちらはブラッドレー歩兵戦闘車

 

今も息づく当時の気持?

 

困難に直面し、それを打開しよう、空気を変えよう、と生まれたピンクのDBロゴ。それもかなわずその1年後には会社は切り売りされたのですが、その時の気持が今に残っている感じがしてとても興味深いです。(多分に僕の想像が混入したストーリーですけど)

 

最後に僕のまとめたDavid Brown写真年表を貼っておきますね。これを見ると1971年に生まれたピンクロゴが1972年に消滅していることがわかると思います。それではまた明日!

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