日本のモータースポーツ発祥の地、浅間山麓で行なわれたライドアフリカツインのお手伝いでブログを更新できなかった僕の生存確認のため、ここのテーマと関係ない話をもう一つ・・・
コマ図の指示に従って道を走り、スタート地点に戻ってくる、コマ図ラリーに参加するために、ギネスダカール・ラリーの最多連続出場(25回)記録保持者である、ラリー界のレジェンド菅原義正さんが来ていました。
菅原さんといえばこういう日野レンジャーのレーシングトラック(とはいっても、戦う相手は排気量が桁違いで、トラックとは名ばかり、巨大なエンジンを積んだバギーとも言えるモンスターですけど)ずっとダカール・ラリーに出ていました。
コマ図とは、40キロ地点で右に曲がれとか左に曲がれとか指示されるこんなもの。今現在の自分の場所しかわからない地図で、言われた通りに正確に走れば目的地に着く地図。すべてを知るのは主催者のみ。あらかじめルートや経由地を頭に入れておけないので、普通とはちょっと違う新鮮な体験ができるツーリングです。
指示通りといっても、判断を誤れば迷子になってしまうので、何台かで「あーでもない、こーでもない」と話し合いながら走ってもヨシ、一人でじっくり取り組んでもヨシ。そんなイベントでした。
そんなイベントに菅原さんは「昨日買ってきたんだよ」というジムニーで参加です。
といっても、ただのジムニーではなく、世界で一番ジムニーを売っていると思われる自動車屋さんのデモカーだったもの。僕はジムニーには詳しくないのですが、ノーマルじゃないことはわかります。
菅原さんに水を向けたらいきなり「僕は昔『軽自動車のすべて』という本を出しててね・・・」と話し始めました。軽自動車が今のように便利で快適じゃなかった頃の本だそうで、そのときに予想した今の状態を『あの頃想像したことが全部現実になっちゃってるんだもの。今一番売れているのが軽自動車でしょ?』といいます。
この本、調べてみたら昭和46年に出た本。1971年、もう50年くらい前の本です。
菅原さん、二輪四輪と長年レース活動をされ、ずーっと出ていたダカールラリーは引退したのですが『最後はこの進化した軽で締めたいんだよ』的なことをおっしゃっていました。
僕はこのジムニーで何かおもしろいことを企んでいるんだな・・・と感じました
その本の内容がわかるサイトを見つけました
この本の中に書かれていたことを44年後に追体験するという記事です。
WEBの記事によれば、本の中で菅原さんは初代ジムニーの助手席に女子大生を乗せ、「中部山岳の秘境を走破」するというアドベンチャードライブをしたことになっています。
初代ジムニーといったら1970年に発売された2サイクルの360ccで4速MT。当時は道も未舗装が多くて悪く、ちょっとしたことが冒険になったという、ある意味幸せな時代でした。写真はWikipediaより。
当時の道、当時の軽だからこそ冒険になった出来事・・・今の軽(ジムニー)で冒険、アドベンチャーをやるには・・・
進化した今の軽(ジムニー)で冒険になることといったらもう海外くらいしかなく、きっとそれは冒険の王様ダカール・ラリーでしょう。
しかし、今ダカールラリーは昔のようにアフリカでやっていません。ですから僕は「菅原さんは冒険のオールドスクール、アフリカで開催される何かのラリーにあの白いジムニーで出ようと考えているに違いない」と思いました。
その時はきっと『軽自動車のすべて』に書かれていたアドベンチャードライブの時のように、当時の女子大生か、現役の女子大生を助手席に乗せるに違いありません。
ま、僕の勝手な想像ですけど・・・
僕が浅間に行っている間に梅雨明しちゃったんですね。今日はこんなところです。また明日!
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