今日は先日の記事、『このカタログの表紙最高!KIMCO574HS/465/455「昔のカタログ」』で見つけてしまった、コマツ本社ビルの屋上の巨大なブルドーザーによって受けた衝撃その後です。
いきさつからその後まで、ひと目でわかる動画
↑ものすごい時間をかけましたが、大したことは言ってない1分間の動画
動画を見ない人にはその説明
↑なんと今も当時のままちゃんと存在しています!
コマツビルのブルドーザの方向にアメリカ大使館があり、キャタピラーが三菱と合弁会社に対抗睨んでいたと言われていますが、真偽は解りません✨
コマツもアメリカ各社と合弁会社作っり始めた頃ブルドーザを降ろしたようです✨真岡工場は、アメリカIHと合弁解消して、小松メック真岡工場としてラフタークレーンを製造していましたが売れ行き不振のの為撤退して、工場閉鎖ですね✨
というコメントで、本当のところどうなのか検証してみたくなりました。
そういえば以前、はたらきもののじょせつしゃ けいてぃーに関しての長い記事を書いた時に、コマツのブルドーザーの数奇な運命にたどり着きました。
もともと農業に従事していたトラクターを、ブルドーザーという形にして戦場に送り出したが、戦争が終わるとなぜかオーストラリアで農業に従事していて、日本に里帰りした・・・「たまたま戦争に行ったけれど、農家の血が騒いだ」「血は争えないね」みたいなお話でした。