昨日は水路の泥上げ・ゴミ拾い・総会のフルコースでした。まだ書類を提出していないので一件落着とは行きませんが、ひとまずほっとしています。
ゴミ問題。こういうのって変わらないんじゃない?
相変わらずのゴミです。震災以前からもう何年もゴミ拾いをしていますが、減ることはありません。その間学生は社会人になり、社会人はおじさんになり、赤ちゃんは小学生になりました。
ある程度時代が変わって、道行く人達の顔ぶれが変わったとしてもゴミが減らないんですから、これって個人の問題ではなく、道の作りとか、茨城県人の特性とか、クルマを運転、もしくは移動する人の特性なのではないでしょうか?
もう、移動体を利用する人はもれなく「窓からポイ」したくなっちゃうとしか思えません。
窓からポイは体に染み付いているのでは?
結局、家のまわりのゴミはブタや馬が食べられない紙くずやプラスチックボトルだけです。こんな所にもやってくるビール・酒のアルコール類のアルミ缶や瓶類はデポジット制でお金になるため見当たりません。
「窓からポイ」は人間に元々備わっている性なんじゃないの?
昔はゴミ箱なし、家の外が全部ゴミ箱でも紙やプラスチック容器がなかったでしょうから、すごくきれいだったはずのこのあたりでも、ステキな容器が出回るようになってゴミだらけになってしまいました。
お部屋の外はいらないものをパクパク食べてくれる自分と関わりのない、全く違う世界・・・というのは、たとえゴミ箱や流し台、トイレがあったとしても変わらない感覚だと思います。
というわけで、日本の島地区でも同じように、人間の素の感覚で「窓からポイ」されているのではないでしょうか? DNAに備わっている習性だから、ある程度矯正できても「完全には無理」という仮説です。
ゴミのほとんどが紙と様々なプラスチック製品、瓶、缶ということは、紙と様々なプラスチックが自然に還る製品にして、瓶と缶をデポジットにすればきれいになくなってしまうと思うんです。
このコストは大量に、そして遠くに製品を届けるために紙やプラスチックを使っている企業が8割、そしてユーザーが2割くらい負担して何とかなりませんかね?
毎年変わらないポイ捨てのゴミを見てそんなことを思うのでした。
今日はここまで。また明日!