ダカールラリー2014は、休息日を含めて12日目、今日はアントファガスタ→エル・サルバドール間750キロほどです。
今日はアントファガスタ→エル・サルバドール間750キロほど
day’s routeにも、競技者はアタカマ砂漠のあらゆる困難によってテストされる・・・とあります。最も速い二輪のトップライダーでも、タイヤの間で7時間を過ごすと・・・
タイヤの間って・・・確かに前輪と後輪の間にシートがあって、そこが着座位置になるわけですけど、ずいぶん持って回った言い方をするもんですねぇ。さすがフランス人!
今日のゴールはエル・サルバドール。でも、中米の国じゃないっす。
エル・サルバドールといっても中米の国ではありません。アタカマ地方に経済的恩恵をもたらす救世主(El Salvador)といったところなのでしょう。
調べてみた
エル・サルバドルは銅山で成り立っています。アタカマ地方の人たちは1000年以上、銅を採掘していたそうですが、産業として銅を採掘し始めたのは、1950年代、アメリカの探査が入ってからだそうです。
そいうえば、あの落盤事故で有名になったアタカマの州都コピアポ(Copiapó)も「銅」(Copper)から名前が来てるのかもしれませんね。
おまけに写真で確認することのできるサッカースタジアム、Copper Stadium(銅スタ?)っていうらしいですよ
話は戻って、アナコンダ・カッパー・マイニング社(すごい名前!)が1951年に探鉱者を送り、1955年に鉱脈が発見されました。
しかし、アタカマ砂漠の真ん中です。アナコンダ・カッパー・マイニング社はエル・サルバドールを自立した町として一から建設しなければなりませんでした。
住宅から学校、各種お店、水、電気などのライフライン。それから鉃道などです。この自己充足都市を設計したのはアナコンダ・カッパー・マイニング社の設計士、レイモンド・オルソン。
なるほどー・・・だからカッチリしてたんだ
さらに町の歴史はおもしろく続きます。
エル・サルバドルはローマ軍のヘルメットの形に設計されました。(確かに図面を見るとそんな風に見えます)おもしろいからいわれているのでしょうが、都市伝説によれば・・・
アナコンダ・カッパー・マイニング社のお偉いさんが、息子と採掘予定地に視察に行ったとき、息子のローマ兵のヘルメットを砂漠でなくしてしまったらしいんです。
町ができたあと、何年も経ってからお偉いさんは息子に飛行機の上から「お前のなくしたヘルメットがあそこにあるじゃないか!」と言ったとか言わないとか。
まあ、それはどうでもいいとして鉱山は1959年に操業を始めたそうです。
順調に行っていた鉱山も、2001年以降、銅価格の上昇傾向にも関わらず赤字が続き、採掘可能な銅も残り2〜3年分という状況がわかり閉山が決定されているそうです。
う〜ん・・・人が減り、活気も少しなくなって行く町。計画的にできた町だけに寂しい感じも倍増です。
で、ラリーは写真が上がってます