絵本の「はたらきもののじょせつしゃ けぃてぃー」katy捜索では色々な情報がもたらされました。昨日の情報ではKatyは戦争にも行っていた・・・ということがわかりました。
正月で実家に帰ってみると今度は親父に「俺Katy見たよ」と、言われてしまいました。「えっ?!」
初めは何言っているのかよくわからなかったのですが、よく聞くと戦争も終わりの頃、京都府福知山石原というところで飛行場の建設に駆り出されたことがあったそうです。そこでホンモノのKatyを見たそうなんです。
滑走路作りは人海戦術
親父によれば建設milというサイトの土木建機発達史「仕事と道具VOL.6」太平洋戦争前後の日米建機1938-1950年というレポートにもあったように、当時の飛行場建設は人海作業。
石原の飛行場建設も同様に当初何もかも手作業で、由良川という川のあたりにある広大な桑畑を潰して作り始められたそうです。
穴を掘った後には、由良川から栗石という大きめの石を後から敷設されたレールの上を走るトロッコに載せ人力で運んで敷き詰め、そのあと砂利や砂をしいて固めていったのだそうです。
トロッコはジーゼル機関車で引くようになり(多分能率の悪さに何処からか調達してきたのでしょう)仕事のキツさは減っていったようですが、ある日見慣れない大型土木機械が動いているのに気がついたのでした。
日本のどこかにKATYがいるかも!
それは南方戦線で捕獲したアメリカ製のブルドーザーだった・・・というのですから、もしかしたら1942年5月にウェーク島で捕獲され、その能力で軍部を驚かせたインターナショナルハーベスター社のTD-14もしくはTD-18そのものだったかもしれません。
追記:正確には戦場で敵の武器を自分の物にするのは捕獲(ほかく)ではなくて鹵獲(ろかく)と言うそうです。
人力で作業している脇をこういう機械で「ガガガー」っと作業されちゃうと仕事やる気がなくなっちゃいますね。国力の差を感じたそうです。
コンクリも人力で・・・
さすがにこういう機械は捕獲できなかったのでしょうか?コンクリはミキサーが来たの?って親父に聞いたら、「う〜ん・・・鉄板敷いて手練りしたんじゃねえかなあ・・・」って、滑走路は長さ1700メートルで幅は100メートル「のぉぉぉぉぉぉぉ〜〜〜〜っ!」
farmer’s clubさん おはようございます
カンボジアで農業をされているのですか?
「人の手間」を考える習慣のないところでは人海戦術はあたりまえですよね
僕も前に中米でエンジンの架台を作るのに金ノコと
家庭用のコンセントから電気を取る手棒溶接機をあてがわれて往生したことがあります
「せめてサンダーくらいないのっ?!」って言っちゃいました
考えてみたら彼の国では道路を建設するための膨大な鉄筋をみんな金ノコで切断しているのでした
便利なものを知っているのでちょっとボーゼンとしちゃいますけど
あるもので何とかするというのが正しい姿ですよね?・・・きっと
それにそういうところではゆっくり仕事をしたって誰も怒らないから精神衛生上はいいです
僕は仕事が遅いので怒られてばかりだし、そのせいで正月も仕事をしなくちゃなりません・・・トホホ
はじめまして。
面白いです。
さすがにこの頃よりは、先行ってると思いますが、お父様が語られた頃の日本に近い状態でカンボジアの村の農家では事が行われています。