去年もそうでした。しばらく前からムクドリの中集団が島地区に居着いています。こんな集団、夜はどこにいるのかな?たまに何羽か猫に撃墜されていいるみたいですが、朝には早くから電線に止まって日の昇るのを待っています。
音の配列を視覚で捉えられるようにしたものだからなのでしょうが、音楽は聞くしかできないが、楽譜というのは読むことができるって何かに書いてありました。
音は結局変換作業
昔はレコードというものがありました。音を溝の深さに変換してそれをトレースする針の先にコイルが付いていて、コイルの中を針に連動した鉄心が動いて電気を発生させて、それを増幅して音にする・・・調べたわけじゃないですが、そんな構造なんでしょう。
紙に書かれた楽譜が人に読まれ、演奏され、それが何かを震わせ、電気信号に変え、機械を動かし、溝を掘り、レコード針がそれをトレースしてまた音楽になる・・・
視覚もブログもやっぱり変換作業
う〜ん・・・結局こうやって並んだムクドリを僕が見ていたとして、誰かに見せるためにデジタルカメラのCCDに色の情報や光の強弱などをフォーカルプレーンシャッターで適当にコントロールして喰らわせて、それを膨大な半導体の集積の中を駆け巡る電子の働きを借りて適当な大きさにリサイズし、デジタル信号をテキストに変換してメールで送って・・・すっごく複雑なことやってる!
我々はいったい何を見ているのか?
結局何一つナマで見てないかもしれない・・・視覚情報は信号に変えられて脳へ送られるわけだし・・・面倒な変換作業が多いか少ないかってだけなのかな。
水戸芸術館現代美術ギャラリー
今、水戸芸術館現代美術ギャラリーでやっている展示の中に、上村洋一さんというアーティストの方が展示をされています。
これは、エリック・サティのジムノペティという曲の楽譜をバラバラにして、サイコロの目によって偶然に組あわせていくつかのグループを作り、それをそれぞれ楽譜おこし直してそれをモビールに吊るしてさらに演奏した音楽を流す・・・そんな感じの展示です。
見たときはそれが何になるの?・・・意味わからん・・・と、頭の中は「??????」でしたが、もしかしたら僕らすべてが行っている「変換」を意図的に使ってみたというか・・・楽譜という視覚のためのものをそれぞれ形と音に変換してさらに空間にまで変換してみたということだったのかもしれません。
確かに写真をプリントする出力前の電気信号を見ても聞いてもムクドリをイメージしているうちは「意味わからん」でしょうね・・・また脱線してしまった。全くなに言ってんだか・・・