依頼
津波でお店から作業場から商売道具まで何もかも流されてしまった、気仙沼で豆腐屋さんをやっていた友達のCくんから電話をもらいました。
「お店を再開したいので看板を作ってくれないか」という電話でした。農地水活動とは全く関係ないのですが、地震直後に近所のみんなから野菜を貰って送った彼です。
4月に会ったときはもう一度豆腐屋さんをやるのかどうかははっきりとしていない感じだったのですが、「やる!」と決めたのだそうです。名前も「気仙沼復興豆腐」と付けて、ブログも立ち上げて活動を再開しているとのことでした。
早速覗いてみると4/10の日記に豆腐のラッパを瓦礫の中から発見したエピソードがありました。そうか・・・豆腐のラッパが背中を押してくれたんだなあ。
歴史とか背景は?
こういう依頼は緊張します。まずはデザインを決めなくちゃ。話に聞けば、彼はなんと豆腐屋さん5代目!(それも、もしかしたらもっと前からかもしれないとのこと)
気仙沼で今もごく近所でいる人のように、親しみを込めて「鮎貝さん」と呼ばれる、伊達藩時代のお殿様から豆腐作りをまかされた家臣だったそうです。(鮎貝山って山の話をしているののかと思った・・・今も気仙沼に生きているんですねえお殿様・・・水戸だと黄門様とか天狗党かな)
昔は誰もが豆腐を作ったので、その中で上手で評判の高かったものが豆腐屋さんになったのだ・・・とはC君の弁です。
なるほど・・・ここ島地区でも味噌をつくる人がいるのだから、もしかしたら豆腐も作ったかもしれません。そして、良い大豆が穫れて、豆腐を作るのがうまい人がいれば豆腐屋さんになった人がいてもおかしくはありません。
話がそれちゃいましたが、そのような綿々と受け継がれた伝統と、道具や店をすべて流されたところからのチャレンジというか、挑戦が大本にあるのだと思いました。
素材を決めよう
材料はそれにちなんで、この組み合せが好きだということもあるのですが、木とステンレスを使うことにします。(って・・・勝手に決めこんでいます)
彼のブログに100年持つ看板・・・とあり、「それはムリだろ」と思いながらも、Cくんのバックボーンでもあるその伝統を表す下地の材料にはアイアンウッドと異名を取る、デッキ材に使われるようなハードウッドのウリンを選びました。これならそこそこ持ちそうです。
そしてシンボルや文字には挑戦を代表してもらうステンレス。18-8ともいわれますが、SUS304材です。中にはLEDで照明も入れちゃおうかな・・・これもそこそこ持つでしょう。
デザインを決めよう
何かシンボルを考えます・・・それにしても豆腐とチャレンジはなかなか結びつかない。角はあるけど豆腐は柔らかく、持ち上がったり挑戦するというのは似合わないんです。
「やっぱり豆腐は自身では持ち上がんないよなあ・・・誰かが支えないと・・・」これです! C君はすでに色々な人に支えられ、豆腐のラッパに背中を押されて立ち上がろうとしているのだった!
というわけで、豆腐を色々な人が支えるモチーフをシンボルに持ってきました。そして、文字は座りの良さと費用削減のため「気仙沼復興豆腐」を「復興豆腐」に「マサキ食品」を「気仙沼マサキ食品」に店名と商品名を変えさせてしまいました。(暴挙!)
意匠決定!
看板が作りにくいから店名(商品名?)を変えるというのは本末転倒ですが、漢字が長く続くのは読みにくいということもあったので・・・Cくんは僕の説明に丸め込まれてしまったと今頃怒っているかもしれません。ごめんなさい。
時間切れだっ!・・・続きます。
うんのさん
コメントありがとうございます
じゃあ、読み物として少し長めにしてみますね
(水増しとか付け足しはもちろんナシですけど・・・)
明日も続きます
夢中に、読み入ってしまいました。
続きが楽しみです。