おはようございます。昨日は「名」による縛りの話でした。「名」というのはとても便利なもので、十把一絡に何でも縛ることができます。「最近の若いもの」「社員」「農村」「外人」なんでもかんでも、それぞれが全く違う唯一のものでも「名」によって自由に、いつでも、一括りに簡単に縛って分けることができ、その括ったものについて、その傾向を「名」は 〜だ・・・と言うことができます。カミさまだって縛られちゃうんですから、もう簡単です。得体の知れないものを恐れていた昔の人にとって、「名」という物を上手に扱った神社とは心の平安を与えてくれるお医者さんみたいなものだったのでしょうね。「名」がいっぱいあって、明るくて、騒々しい現代、そのおかげで仕事に集中できるのでしょうが、もう少し得体の知れないもの、意味不明なもの、くだらないもの、暗がりや闇に目を向けてもよいのかもしれませんね。
「世話人の覚え書き(お祭り当日その2)」からの続きです。暗くなる前に、頃合いを見計らってお神輿をしまいます。その際に、外の神様7体にお赤飯とお酒を供えます。
集落センターに引き上げ、中にいる人たちにもお神酒を配り、これまた頃合いを見計らって軽食(うどんやそば)をだしてお開きにします。
ほんとうに少人数で行われる簡略化された小さなお祭りで、いつまで続けてゆけるのか心もとない気がしますが、昔の人たちの稲作への期待や願い、それを妨げるものへの恐れなどがあちこちに感じられるような気がします。そういう気持ちを繋いできたこの行事がこれから細々とでも続いていくといいなあ・・・と思います。こういった形ないものは、ひとたび失われるとそれを取り戻すのは容易なことではないでしょうから。(この項終わり)