やっと土の館へ

なんで念願なのかと言えば、去年はせっかく行ったのに休みだったからです。(ちゃんと調べていけよってことですが)二年越しの館は、日が出てくるとミシミシ、パキパキいって建物自体が揺れるようで、何度も外へ出て地震情報を確かめたり、自分の平衡感覚を確認したりしました。
なんで念願なのかと言えば、去年はせっかく行ったのに休みだったからです。(ちゃんと調べていけよってことですが)二年越しの館は、日が出てくるとミシミシ、パキパキいって建物自体が揺れるようで、何度も外へ出て地震情報を確かめたり、自分の平衡感覚を確認したりしました。

 

二年越しの土の館へ到達して、念願をとりあえず果たせました。その前に、少し写真を‥iPhoneから送信

日高2ディズエンデューロ、併催のヴィンテージモトクロスのスタート
日高2ディズエンデューロ、併催のヴィンテージモトクロスのスタート
トラクタ博物館に入る直前に腹ごしらえをしたそば屋の蕎麦猪口にクマが!!!さすが北海道!
トラクタ博物館に入る直前に腹ごしらえをしたそば屋の蕎麦猪口にクマが!!!さすが北海道!

=============================================
 
そう言えば今年はこの日高2ディズエンデューロの説明をしていませんでした。

エンデューロはウィキペディアによれば

エンデューロレースは、主催者が設定した一周数十km以上ある未知のコース(数カ所のチェックポイントが設定される)を指示標識に基づいて走る。車両が故障した場合、車両の整備もライダー自身が行う。順位を争うよりも完走を目的にすることから、完走者全員がメダルの対象となり、その中から規定の割合により、金、銀、銅メダルが授与されるという形が本来の姿である。海外で最も有名なレースが「I.S.D.E.」(International Six Days Enduro)であり、ロード、オフロード、トライアル等の総合的競技といったところから、2輪のオリンピックと称される場合もある。

ということで

そして北海道でのエンデューロレースについては日高モータサイクリストクラブのWEBサイト

日高町とエンデューロ

日高町とエンデューロのかかわりは、1986年の第3回インターナショナルツーデイズエンデューロ日高町大会からさらに3年間遡った1984年のITDE=インターナショナルツーデイズエンデューロ苫小牧大会にその端緒を見いだすことができます。モーターサイクルレスキュー連盟の主催によるインターナショナルツーデイズエンデューロは、新たな開催地を日高町に求め、日高町有志の協力という形で、1986年、1987年の2回に渡り、インターナショナルツーデイズエンデューロ日高町大会を開催。1988年には、主催を地元日高町有志により構成されたHTDE実行委員会に移し、名称も日高2日間エンデューロ(ヒダカツーデイズエンデューロ)に変更。新たなスタートを切ります。その後、1999年まで地元行政の主導による開催が続けられますが、参加者数の減少、大会役員の高齢化などの要因が重なり、日高町役場内に事務局を置く実行委員会は解散、翌年より開催が休止されます。現実行委員会は、2003年に日高モーターサイクリストクラブによって設立され、旧実行委員会より事業の引継ぎを受けたものです。現在は、地元日高町行政、町民の皆様をはじめ、たくさんの方々のご協力をいただきながら開催を続けています。

と、書いてあります。もうずいぶん長いことやってます。

上の記事とゆるく関連しているほかの記事:

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。