京都市立銅駝美術工芸高等学校の生徒さんに「お米たべてー!」看板を作ってもらった!

出来上がった看板たちすべてに言えることは、人の作っているものに引っ張られていない・・・という意味で「どれにも似てない」ということでした。その中でも群を抜いて他と違っていたのが「お米たべてー!」の看板です。あえてスペース全部を使わず一点に目を惹く構図といい、その上でクライアントの意向を理解させるというなかなかの秀作。
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水戸芸術館に研修旅行で訪れていた、京都市立銅駝美術工芸高等学校の生徒さんがやっている、現在開催中の「中﨑透 フィクション・トラベラー」展にちなんだ、「看板を作ろう」というワークショップに参加してきました。生徒さんは1年生で、見聞を広め、自分の進む道を決めるよすがにしようという試みのようです。

ワークショップの内容としては、クライアントとして看板を発注して、その発注書を生徒さんが自由に解釈して製作する・・・というものでした。親でもない、先生でもない、第三者の大人とコミュニケーションをとって、さらにそれを解釈、考え、出力するというかなりハードな試みです。
ワークショップの内容としては、クライアントとして看板を発注して、その発注書を生徒さんが自由に解釈して製作する・・・というものでした。親でもない、先生でもない、第三者の大人とコミュニケーションをとって、さらにそれを解釈、考え、出力するというかなりハードな試みです。
高校一年生といったら、ついこの間まで中学生。しかし、色々考えるのを先延ばしにせず、とりあえず「美術工芸」を選択した子供たちですから、びっくりするほど大人です。この年齢でこんなに考える力があるのだ・・・と、自分がそのくらいの年齢の時、「選択はせず!!先延ばし人生」だったことを考えて恥ずかしくなってしまいました。
高校一年生といったら、ついこの間まで中学生。しかし、色々考えるのを先延ばしにせず、とりあえず「美術工芸」を選択した子供たちですから、びっくりするほど大人です。この年齢でこんなに考える力があるのだ・・・と、自分がそのくらいの年齢の時、「選択はせず!!先延ばし人生」だったことを考え、恥ずかしくなってしまいました。
出来上がった看板たちすべてに言えることは、人の作っているものに引っ張られていない・・・という意味で「どれにも似てない」ということでした。その中でも群を抜いて他と違っていたのが「お米たべてー!」の看板です。あえてスペース全部を使わず一点に目を惹く構図といい、その上でクライアントの意向を理解させるというなかなかの秀作。
出来上がった看板たちすべてに言えることは、人の作っているものに引っ張られていない・・・という意味で「どれにも似てない」ということでした。

その中でも群を抜いて他と違っていたのが「お米たべてー!」の看板です。あえてスペース全部を使わず一点に目を惹く構図、その上でクライアントの意向を理解させるというなかなかの秀作。

期待以上の出来・・・というか、驚かせてほしいという期待を見事叶えてくれました。

ビックリマークや上の歯が「お米」になっているのがわかるでしょうか? その上で舌の上にもお米がのっています。
こんな看板もありました。水戸市と合併しなくなってしまった、自分お生まれた常澄村の名前を忘れないで!という看板を作って!!というオーダーに対してできた看板です。よく説明を聞いていなかったので、ニュアンスになってしまいますけど
こんな看板もありました。水戸市と合併しなくなってしまった、自分の生まれた常澄村(島地区のあるのも旧常澄村です)の名前を忘れないで!という看板を作って!!というオーダーに対してできた看板です。

よく説明を聞いていなかったので、勝手な解釈になってしまいますけど、ジグソーパズルのピース全体を水戸市とすると、その一部に旧常澄村がこのように入っている・・・という感じでしょうか?

常澄ということで、水が綺麗で澄んでいるのかな?という想像をして、透過部分と不透過部分を作り、透過部分に水色を塗ったというのは聞こえたので、そこも素晴らしいと思います。右下のピースをはめるような、動きのある表現もいいですよね!!!

小中と、キットを作ったり、よくわからない悲しい絵を描かされて育った子供たちが、こんな風に育ったというのは奇跡みたいなものだなぁ・・・と感じました。よっぽど感性のアンプリファイヤーの増幅率が高いのだろうな・・・みんなすごい!!

今日はこんなところです。それではまた明日!

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