2,500トンの水門下部を吊る、3,700トン吊り非自航ジブ俯仰式起重機船「第50吉田号」

で、3,700t吊り非自航ジブ俯仰式起重機船「第50吉田号」に戻ります。

近所のMさんが『でかいクレーンが来てるわ。見に行ってこ』というので、大洗に見に行ってきました。

作業に来ていたのは、全高低差102Mを誇る、3,700t吊り非自航ジブ俯仰式起重機船「第50吉田号」

家の近くからだとこんな風に見え、大洗のマリンタワー(地上60m)よりはるかに高く見えます。目一杯ジブを上げると高さ132mにもなるというので当然ですね。
家の近くからだとこんな風に見え、大洗のマリンタワー(地上60m)よりはるかに高く見えます。目一杯ジブを上げると高さ132mにもなるというので当然ですね。
「その大きさは遠くからのほうがよくわかる」と、家の者が言うので遠回りして向かいます。大洗の砲台より高い!
「その大きさは遠くからのほうがよくわかる」と、家の者が言うので遠回りして向かいます。大洗の砲台より高い!
怪獣みたいですねぇ・・・
怪獣みたいですねぇ・・・
ずっと続く高架は、鹿島臨海鉄道株式会社の大洗鹿島線の高架です。
ずっと続く高架は、鹿島臨海鉄道株式会社の大洗鹿島線の高架です。
近くまで行くともうその大きさはよくわかりません。遠くから見たほうが「窓枠効果」というか「額縁効果」で大きく見えるということなのでしょう。登りっぱなの太陽や月が大きく見えるのと一緒なのでしょう。
近くまで行くともうその大きさはよくわかりません。普通の起重機船のように見えます。(大きいのは大きいけど)遠くから見たほうが「窓枠効果」というか「額縁効果」で大きく見えるということなのでしょう。登りっぱなの太陽や月が大きく見えるのと一緒ですよね?きっと。
高さ100mと言われれば「そうなんですか!」と納得する程度。家の向こうや山の向こうに見えたおどろおどろしい感じは全くありません。
高さ100mと言われれば「そうなんですか!」と納得する程度。家の向こうや山の向こうに見えたおどろおどろしい感じは全くありません。
近くまで寄ってみます。写真のフレームに納めるとそのスケールが失われてしまう・・・何か箱のようなものを吊り下げていますね・・・
近くまで寄ってみます。写真のフレームに納めるとそのスケールが失われてしまう・・・何か箱のようなものを吊り下げていますね・・・
工事看板が置いてあります。工期は令和2年の9月3日まで。
工事看板が置いてあります。工期は令和2年の9月3日まで。

水門下部据付け工事 概要書

どんな工事をしているのか、わかりやすい看板もあります。これ大事ですね!こういうものがないと、工事のおじさんを捕まえて「どんな工事してるの?」などと聞く人が現れ、いちいち対応して工事の邪魔になっちゃいますもん。「休まず文句も言わない24時間対応の説明員」という、このような看板が2つ建っていました。
どんな工事をしているのか、わかりやすい看板もあります。これ大事ですね!こういうものがないと、工事のおじさんを捕まえて「どんな工事してるの?」などと聞く人が現れ、いちいち対応して工事の邪魔になっちゃいますもん。「休まず文句も言わない24時間対応の説明員」という、このような看板が2つ建っていました。
どうも漁港の入口に高潮対策の水門を取付ける工事の一部作業で、この画像にある水門の足の部分を据付けている様子でした。
どうも漁港の入口に高潮対策の水門を取付ける工事の一部作業で、この画像にある水門の足の部分を据付けている様子でした。
その作業に駆り出されているのが全高低差102Mを誇る、3,700t吊り非自航ジブ俯仰式起重機船「第50吉田号」というわけです。やっぱり自分で動けない非自航船だから吉田丸ではなく吉田号なんですかね?そこ知りたいです。
その作業に駆り出されているのが全高低差102Mを誇る、3,700t吊り非自航ジブ俯仰式起重機船「第50吉田号」というわけです。やっぱり自分で動けない非自航船だから吉田丸ではなく吉田号なんですかね?そこ知りたいです。

吊っていたのは高さ14.6m、長さ30m、幅28m、重さ2,500tのコンクリートの塊

吊り上げていた箱、箱と言えない大きさと重さ・・・高さ14.6m長さ30m幅28m重さ2,500tののコンクリートの塊です。
吊り上げていた箱、箱と言えない大きさと重さ・・・高さ14.6m、長さ30m、幅28m、重さ2,500tのコンクリートの塊です。
これですね。これが2,500t
これですね。これが2,500t
ピンとこない大きさ。でも手すりと大きな発電機で何となくイメージできるでしょうか・・・
ピンとこない大きさ。でも手すりと大きな発電機で何となくイメージできるでしょうか・・・
拡大してみると結構いいかげんな スプレーのステンシル。
拡大してみると結構いいかげんな スプレーのステンシル。コンクリートに染み込んじゃって苦労した痕が偲ばれます。
2,500トンの水門下部は三重県の津で作られ、筏に乗ってやってきたみたいです。工事の流れ、わかりやすいですね!
2,500トンの水門下部は三重県の津で作られ、筏に乗ってやってきたみたいです。工事の流れ、わかりやすいですね!
脇に空の筏があったのですが、これに乗っていたのでしょうか・・・それとも吉田号のジブを乗せる台?
脇に空の筏があったのですが、これに乗っていたのでしょうか・・・それとも吉田号のジブを乗せる台?

まだ続きがあるのですが、時間がなくなってしまいました。この続きは明日ということで・・・

50年目の野望

菅原さんといえばこういう日野レンジャーのレーシングトラック(とはいっても、戦う相手は排気量が桁違いで、トラックとは名ばかり、巨大なエンジンを積んだバギーとも言えるモンスターですけど)ずっとダカール・ラリーに出ていました。

日本のモータースポーツ発祥の地、浅間山麓で行なわれたライドアフリカツインのお手伝いでブログを更新できなかった僕の生存確認のため、ここのテーマと関係ない話をもう一つ・・・


コマ図の指示に従って道を走り、スタート地点に戻ってくる、コマ図ラリーに参加するために、ギネスダカール・ラリーの最多連続出場(25回)記録保持者である、ラリー界のレジェンド菅原義正さんが来ていました。
コマ図の指示に従って道を走り、スタート地点に戻ってくる、コマ図ラリーに参加するために、ギネスダカール・ラリーの最多連続出場(25回)記録保持者である、ラリー界のレジェンド菅原義正さんが来ていました。
菅原さんといえばこういう日野レンジャーのレーシングトラック(とはいっても、戦う相手は排気量が桁違いで、トラックとは名ばかり、巨大なエンジンを積んだバギーとも言えるモンスターですけど)ずっとダカール・ラリーに出ていました。
菅原さんといえばこういう日野レンジャーのレーシングトラック(とはいっても、戦う相手は排気量が桁違いで、トラックとは名ばかり、巨大なエンジンを積んだバギーとも言えるモンスターですけど)ずっとダカール・ラリーに出ていました。
コマ図とは、40キロ地点で右に曲がれとか左に曲がれとか指示されるこんなもの。今現在の自分の場所しかわからない地図で、言われた通りに正確に走れば目的地に着く地図。すべてを知るのは主催者のみ。あらかじめルートや経由地を頭に入れておけないので、普通とはちょっと違う新鮮な体験ができるツーリングです。
コマ図とは、40キロ地点で右に曲がれとか左に曲がれとか指示されるこんなもの。今現在の自分の場所しかわからない地図で、言われた通りに正確に走れば目的地に着く地図。すべてを知るのは主催者のみ。あらかじめルートや経由地を頭に入れておけないので、普通とはちょっと違う新鮮な体験ができるツーリングです。
指示通りといっても、判断を誤れば迷子になってしまうので、何台かで「あーでもない、こーでもない」と話し合いながら走ってもヨシ、一人でじっくり取り組んでもヨシ。そんなイベントでした。
そんなイベントに菅原さんは「昨日買ってきたんだよ」というジムニーで参加です。
そんなイベントに菅原さんは「昨日買ってきたんだよ」というジムニーで参加です。
といっても、ただのジムニーではなく、世界で一番ジムニーを売っていると思われる自動車屋さんのデモカーだったもの。僕はジムニーには詳しくないのですが、ノーマルじゃないことはわかります。
といっても、ただのジムニーではなく、世界で一番ジムニーを売っていると思われる自動車屋さんのデモカーだったもの。僕はジムニーには詳しくないのですが、ノーマルじゃないことはわかります。
菅原さんに水を向けたらいきなり「僕は昔『軽自動車のすべて』という本を出しててね・・・」と話し始めます。軽自動車が今のように便利で快適じゃなかった頃、今の状態を『あの頃想像したことが全部現実になっちゃってるんだもの。今一番売れているのが軽自動車でしょ?』といいます。
菅原さんに水を向けたらいきなり「僕は昔『軽自動車のすべて』という本を出しててね・・・」と話し始めました。軽自動車が今のように便利で快適じゃなかった頃の本だそうで、そのときに予想した今の状態を『あの頃想像したことが全部現実になっちゃってるんだもの。今一番売れているのが軽自動車でしょ?』といいます。
この本、調べてみたら昭和46年に出た本。1971年、もう50年くらい前の本です。
この本、調べてみたら昭和46年に出た本。1971年、もう50年くらい前の本です。

菅原さん、二輪四輪と長年レース活動をされ、ずーっと出ていたダカールラリーは引退したのですが『最後はこの進化した軽で締めたいんだよ』的なことをおっしゃっていました。

僕はこのジムニーで何かおもしろいことを企んでいるんだな・・・と感じました

その本の内容がわかるサイトを見つけました

1971年に発行された『軽自動車のすべて : 便利でスバラシイこれからのクルマ』という本、絶版でどんな本かよくわからなかったのですが、探すと『44year later 日本の道とジムニーと』という記事に行き当たりました。ここに少しその内容がわかる記載があります。
1971年に発行された『軽自動車のすべて : 便利でスバラシイこれからのクルマ』という本、絶版でどんな本かよくわからなかったのですが、探すと『44year later 日本の道とジムニーと』という記事に行き当たりました。ここに少しその内容がわかる記載があります。

この本の中に書かれていたことを44年後に追体験するという記事です。

WEBの記事によれば、本の中で菅原さんは初代ジムニーの助手席に女子大生を乗せ、「中部山岳の秘境を走破」するというアドベンチャードライブをしたことになっています。

初代ジムニーといったら1970年に発売された2サイクルの360ccで4速MT。当時は道も未舗装が多くて悪く、ちょっとしたことが冒険になったという、ある意味幸せな時代でした。
初代ジムニーといったら1970年に発売された2サイクルの360ccで4速MT。当時は道も未舗装が多くて悪く、ちょっとしたことが冒険になったという、ある意味幸せな時代でした。写真はWikipediaより。

当時の道、当時の軽だからこそ冒険になった出来事・・・今の軽(ジムニー)で冒険、アドベンチャーをやるには・・・

進化した今の軽(ジムニー)で冒険になることといったらもう海外くらいしかなく、きっとそれは冒険の王様ダカール・ラリーでしょう。

しかし、今ダカールラリーは昔のようにアフリカでやっていません。ですから僕は「菅原さんは冒険のオールドスクール、アフリカで開催される何かのラリーにあの白いジムニーで出ようと考えているに違いない」と思いました。

その時はきっと『軽自動車のすべて』に書かれていたアドベンチャードライブの時のように、当時の女子大生か、現役の女子大生を助手席に乗せるに違いありません。

ま、僕の勝手な想像ですけど・・・

僕が浅間に行っている間に梅雨明しちゃったんですね。今日はこんなところです。また明日!
僕が浅間に行っている間に梅雨明しちゃったんですね。今日はこんなところです。また明日!