見に来るお客さんが少ない休みの日はテキトーな話題でお茶を濁します。(寝坊しちゃったし)
今日は国立科学博物館で開催されていた、明治150年記念、日本を変えた千の技術博という特別展で見たものいろいろ・・・その番外編。特別展以外の通常展示で見た、国産量産車の先駆けとなった「オートモ号」です。

国産量産車のさきがけとなった
オートモ号
オートモ号は1924(大正13)年より市販され4年間で約300台が生産された。展示車は、残されたエンジンや数々の部品、図面などをもとに1999(平成11)年、当館とトヨタ博物館の共同プロジェクトにより復元されたものである。
とあります。また、読める範囲でコラムを読んでみると・・・
豊川順彌と白楊社
オートモ号を製造した白楊社は、1912(明治45)年、豊川順彌によって創業された。豊川は東京工業学校(現東京工業大学)に学んだ後に、白楊社を興し、欧米に負けない技術開発を志した。さまざまな研究と機械類の製作を行ない、1917(大正6)年に自動車製造に取り組んだ。エンジンから車体まで設計・製造を自分たちで行ない、日本初の量産された国産乗用車となった。
オートモ号は、白楊社が1924年(大正13年)から1927年(昭和3年)にかけて製造・販売した自動車である。日本国外に輸出された日本車第1号である[2]。
200台以上が生産され[注 2]、日本において国産量産車として先行した三菱・A型よりも生産台数が多いためか、しばしば「日本初の(本格的な)量産乗用車[4][5]」と形容されることがある。また、三菱・A型は既存のフィアット[注 3]を模したものであるため、「日本の純国産技術で完成した初の量産乗用車[6][7]」と形容されることもある。

Wikipediaによるとそのスペックは
販売期間 1924年 – 1927年
デザイン 豊川順彌(設計)
乗車定員 4人
ボディタイプ フェートン、セダン
エンジン 945cc 直4・OHV
駆動方式 FR
変速機 3速MT
全長 3,030mm
全幅 1,210mm
全高 1,300mm
ホイールベース 2,200mm
車両重量 450kg


末尾Aの国製
ホルダーに隠れて銘板が読めません。こういう時、隠れているところがすごく読みたくなってしまいます。








今日はこんなところです。また明日!