なんとなく投稿数を見ていたらちょうど2500投稿目!!(毎日1つ書いても7年近くかかる計算・・・我ながら驚きます)なんだかこういう日はいいことありそうな気がします。
今日の投稿は毎年誰に頼まれたわけでもなくフォローしているダカールラリー。今年はちょっと様子が違います。
パラグアイ・・・昔、パラグアイに行ったことがあったんですごく奇異に感じます。あの時、まさかパラグアイをダカールが通るなんてまったく想像だにしませんでした。
ダカール=アフリカでしたからね。それを考えるともう何でもありだなあ・・・
ちょっと寄り道しちゃいます。パラグアイには日本人移民が渡っていて、その移住地のあるピラポ移住地に行ったんだった・・・
それもそのはずで、ウィキペディアによると1976年以来、2004年を除き、日本が最大の援助国となっていて、道路もその延長だったのだと思います。
調べているうちに『パラグアイ日本人会連合会』というページに行き当たりました。その中に『ピラポ移住地の歴史』と言うページがあって・・・・
現在の国際協力事業団(JICA)の前身である日本海外移住振興株式会社は、ラ・パス移住地の満植にともない、1957年1月より調査を開始し、1958年3月アルカスツル殖民会社より約23,095haを購入し、これに加えて翌年6月その北部に隣接するカレンズ地区さらに10月ピラポ地区の南部に接するアカカラジャ地区の私有地を購入し、移住地全域の購入を完了しました。1959年8月より道路造成および区画割り測量に着手し、1960年7月の移住地開設披露の後、8月2日に、日本からの第一陣移住者として26家族が入植しました。
と書いてありました。
そうそう、そのあたりの人たちは移住地とかピラポとか呼ばないで「コロニア」って呼んでたっけ・・・
パラグアイは50年余、ブラジルだと100年余?北海道でも(100年以上でしょうね)そう思うんですけど、開拓の記憶が生々しい感じで歴史がギュッと詰まっている感じです。
年代は違っても、森林にほぼ素手で突入していって、掘っ建て小屋を建てて・・・という印象。それだけにまだ開拓者の気持がまだ真っ赤な熾で人々の心の中に燃えているような気がします。
↓北海道の昔の写真はこちらのリンクから
『ここからはじまった・・・「昔の写真@土の館」』
『晴れ着と普段着・・・「昔の写真@土の館」』
こういう写真って、実際には全く経験したことがないのになんだか懐かしい気持になります。もしかしたら先祖の記憶が自分のどこかに残っているのかもしれませんね。
もちろん、北海道のかたや移住地の方々は実際にその血が流れているわけですから、懐かしい気持、先祖に感謝する気持はより強いと想像します。
脱線しすぎたので少しだけ戻ります
毎年ラリーを追うのはジュン・ミツハシがいたからなのですが、今年は参加していません。ですから、今年は見てもツマラナイ・・・という感じだったのに・・・
ゼッケン100番。クラスはMalle Motoという800×500×400(ミリ)くらい、重さ60キロくらいまでの缶一つと身一つでラリーするというクラスにチャレンジしてます。(そんなクラスできたんだ・・・)
動画も上がってました
Stage 1 & 2 Summary – Quad/Truck – (Resistencia… 投稿者 Dakar
せっかくなので1,2日目の動画。このなかにパラグアイのシーンが入っているかどうかはわかりませんけど。
これをやり始めると見に来る人がぐっと減るので、明日はがんばってトラクターの話も同時に上げようと思います。それではまた明日!