書き始めると思いのほか引っぱれることに気がついて今度は意識的に引っぱってます。江戸時代の土木工事遺跡、日本のスエズ運河の勘十郎堀のお話その3です。
昨日まではグーグルマップであたりを付けたところまで。
そもそもうちから勘十郎堀沿いに北浦まで歩いて行けないかというアイディアがあり、「道がなくて歩けないはずだ」「歩けないところは巻いて行けば結構行けるはず」の検証で始まったことなので、まずは偵察です。なにせ、勘十郎堀沿いとぶち上げたのに延々と車道を歩いて行くんじゃつまんないですもん。
グーグルさんはエラい。しかし地べたの人間は無力だ・・・
近所ということもあり、スマホのGPSも使えるということで気軽に出発。なんなくそれらしきところにクルマを止め、降りて歩き出してみたのですが取り付き口で早くも難問が・・・どうやって木立の奥にあると思われる勘十郎堀跡へ行ったらいいかわからない。
グーグルマップなら四方1キロから数百キロまで自在に見渡すことができますが、地べたを歩く人間はちょっと障害物があれば四方数十メートルしか見渡せません。なんとなくあたりを付けて歩いて行っても人の家に入っちゃったり、とんでもないところに行ってしまったり・・・なかなか思うように行かないのです。広い視野が欲しい!
怪しすぎる・・・
群馬ナンバーのクルマにおっさん4人も乗って降りてはウロウロしているんじゃ目立って仕方ありません・・・どう見ても怪しい。稲刈りも終って早速蛇口をかっぱらいにきた盗賊団と思われてもしかたありません。
そのような地元の人の目に一番先に耐えられなくなった一人が逆に「虎穴に入らずんば、虎子を得ず」とばかりに逆におばさんに話しかけて勘十郎堀のことを聞いてみています。
「この道まっすぐ行って突き当たりを左に曲がってY字路を右に入ってしばらく行くと案内板があって駐車場もあるよ」おばさんは勘十郎堀のことはよく知らなかったようなので、運河という「線」ではなく、観光史跡としての「点」である勘十郎堀のことを教えてくれたのでした。
このままだと怪しまれるばっかりだ。まあ、点でもとりあえず見てみないことにはしかたがない。と、まあそっちへ向かってみたのでした。
・・・
ちょっと自分の中の史跡&駐車場とは違いましたが間違いないです。どちらかといえば「勘十郎堀駐車場跡」という感じですけど・・・(ゴメンナサイ)
そしてこんなものが・・・
工事に携わって犠牲になった人々に関係しているのだと思いますが・・・
書写って?
経典を書写するのはわかるけど(そう書いてあると思った僕の主観です。けっして漢字にも昔の字にも石碑にも詳しいわけじゃありません)一字一石ってなんだろうなーって思って調べてみました。
もうさささ〜〜〜〜っといろんなサイト斜めに読んで自分の中で再構築しただけですけど、印刷術やコピー機のなかった昔は手書きしかなかったわけです。その中で仏教に限らず誰かの教えの書写というのはとても重要な位置を占めていたはずです。
なぜなら、教えの主体の本人が教えを広めるためにテメエで書いていたんでは効率が悪い。こういうことは弟子に原本を作らせ、それを信ずるものに写させて複製していけばずっとずっと広まるはずです。
たとえがものすごく悪いですが、コンピューターウイルスにしても遺伝子にしても「広める」「増える」という行為には必ず「複製」するというモノがひっついていて、「複製」を制すものは「広める」を制すのでしょう。だから教えを「写す」写経する行為はどんな教えでも尊いものとされていたようです。
一字一石って?
ちょっと調べてみるとことバンクというのでこういう記述を見つけました。以下引用です。
石ころに一字ずつ経典を書写したもの。経塚に埋納した経典の一種。礫石経,経石,一石経などともいう。墨書と朱書があり,経典は《法華経》が多いが,《阿弥陀経》《般若心経》《華厳経》などもある。石ころはすべて自然石で,加工したものはない。普通2~3cmぐらいの扁平な河原石を選び,片面に一字を書写している。しかし,山石や,凹凸のあるもの,10cmを超えるもの,また一石に表裏一字ずつ,あるいは数字,数十字を写したものもある。
なんで写経なのに「成就之所」って書いてあるのかなあ・・・って思いましたが、これならわかります。たぶんここにこれらのお経の文字を一個ずつ書いた石が埋まって塚になっているんだ!一体大乗経典って何文字なんだろう??!!
なんだか2百数十文字のものもあるらしいんだけど・・・気になります。
というわけでどんどん中身の薄くなっていく最終回へ続く