農業機械、カタログおねえさんの誕生と変遷「昔のカタログシリーズ」

うわ〜〜〜〜〜っ・・・「誰っ?」。みのりちゃんという名前らしいのですが、どなたでしょう?表紙です。

今日は昨日のシバウラ総合カタログで火がついてしまった、カタログに出てくる女性の誕生と変遷をまとめてみました。あくまでも手持ちの資料の中での話なので、「こんなの見つけた!」という情報お待ちしています。

 

1950年代、1960年代

 

表紙を含めて3ページ目に入りますが、一言も「ラク」だとか「優しい」などの文字が出てきません。いきなり仕様書、その次はエンジンの解説ですもん。ココでは主に経済性が強調されています。
『突っ込みどころナシ。D1616/D2016/D2416/D2816 ランツ・ブルドッグ「昔のカタログ」その2』より。僕のイメージではこういう「さっぱりと技術系」なものが農業機械のカタログだと思っていたのですが・・・「土の館」のキャプションには、ランツブルドックトラクタ
1955年(昭和30) ランツ社製(ドイツ)
D-2416型 24馬力
1956年(昭和31)清里町 白戸雄策 導入
使用経過不明。
後年に野坂が入手、当時活躍していたことで自家保存のもの。
ランツ社とジョンディア社の業務提携時代の製品。
同型は3年間に道内に11台導入された。
とあり、1955年(昭和30年)近辺のカタログだと思われます。表紙を含めて3ページ目に入りますが、一言も「ラク」だとか「優しい」などの文字が出てきません。いきなり仕様書、その次はエンジンの解説ですもん。ココでは主に経済性が強調されています。

 

1973年?

 

ブルトラの頃のカタログと同じ体裁でクボタ乗用田植機、乗用6条植 SPR600とあります。
ブルトラアタッチメントのSPR600です。イメージキャラクターは林寛子さん。1973年デビューだそうです。ブルトラと同じ!農研機構の安全鑑定データベースにはSPR600は載っていませんが、1977年に後期型?のSPR6000、さらに1979年にはSPR8000という8条植のブルトラアタッチメントとおぼしき登録があります。ということで、正確ではないとして、このSPR600は年代的には歩行田植機のS300と同じころでしょうけど若干古いはずで、ブルトラの生まれた1973年からS300の登録された1976年より前に生まれたと考えられます。

 

 

1978年

 

一番始めにフックしたのはこの写真。8条植え、しかも前で植えるタイプ・・・こんなのあったんだ!
以前取りあげた、1978年、新農林社という会社が発行している「機械化農業」という月刊誌。今もまったく同じロゴタイトルでこの雑誌を出しています。一番始めにフックしたのはこの写真。8条植え、しかも前で植えるタイプ・・・こんなのあったんだ!この表紙の田植機、ヤンマーYP8000という田植機で、ホイールローダーと同じで車体が折れ曲がって旋回するちょっと変わった特徴を持っています。

 

ヤンマー田植機YP6000です。植え付け部は失われています。イスの向きからして写真手前に向かって走行するものと思われます。
ちょっと脱線してしまいますが、6条植えで、構造は同じヤンマー田植機YP6000です。植え付け部は失われています。イスの向きからして写真手前に向かって走行するものと思われます。

 

 

中身はよくわからないのですが、広告は見てるととても楽しいです。
その広告にはなぜか丸の中に当時の歌手の桜田淳子さん。これは女性というのもありますが、有名人ということでイメージキャラクターという意味合いが強いと思います。

 

これなんかもそうです。ヤンマー田植機の広告。一番上の目立つところに若い女性の写真が何の説明もなく・・・浅芽陽子。「なぁ、みんなどう思う。」っていわれてもねえ・・・
ヤンマー田植機の広告。これも女性が出てきますが、有名人のイメージキャラクター。一番上の目立つところに若い女性の写真が何の説明もなく・・・浅芽陽子。「なぁ、みんなどう思う。」っていわれて「やっぱりヤンマーがええ」と言わせています。

 

まったく同じパターン。やっぱり一番上にサブちゃん!北島三郎さんです。大島コンバイン・・・大島農機という会社は乾燥機とかもみすり機などを作っていて、今はコンバイン、作っていないみたいですね。
こちらは女性じゃないけどイメージキャラクター。ご存知サブちゃん。北島三郎さんです。大島コンバイン・・・大島農機という会社は乾燥機とかもみすり機などを作っていて、今はコンバイン、作っていないみたいですね。

 

こちらはイメージキャラクターとは違います。今回僕が注目したい名前のない女性の登場はすでに1970年後半から始まっていました。トラクターのコマーシャルなのに、女性が目立ってどうするんだ・・・という気もしますが、そこは機械は男のものだった時代、数ある広告の中でまず目を惹いて・・・という戦略だったと思われます。
こちらはイメージキャラクターとは違います。今回僕が注目したい名前のない女性の登場はすでに1970年後半から始まっていました。トラクターのコマーシャルなのに、女性が目立ってどうするんだ・・・という気もしますが、そこは機械は男のものだった時代、数ある広告の中でまず目を惹いて・・・という戦略だったと思われます。

 

関東ではなじみがあまりありませんが、このビーバーという草刈機は西のほうではとてもポピュラーなものだったそう。意味もなくしなを作る女性は、多分有名な人ではなく、目を引くアイキャッチとしてのものでしょう。確かに無機質の機械の写真が並んでいる所に生身の人間が立つとそれだけで目を引いてしまいます。
関東ではなじみがあまりありませんが、このビーバーという草刈機は西のほうではとてもポピュラーなものだったそう。意味もなくしなを作る女性は、多分有名な人ではなく、目を引くアイキャッチとしてのものでしょう。確かに無機質の機械の写真が並んでいる所に生身の人間が立つとそれだけで目を引いてしまいます。

 

クボタトラクターサンシャインJr.(ジュニア)B1600DTは、農研機構の登録によれば1978年。クボタの角目としてはパイオニアなのではないでしょうか。ちょっと読みにくいのですが、水冷3気筒4サイクルディーゼル927cc、16馬力/2500,rpmとカタログのスペックに書いてあるように読めます。
クボタトラクターサンシャインJr.(ジュニア)B1600DTは、農研機構の登録によれば1978年。クボタの角目としてはパイオニアなのではないでしょうか。ちょっと読みにくいのですが、水冷3気筒4サイクルディーゼル927cc、16馬力/2500,rpmとカタログのスペックに書いてあるように読めます。ただ商品を見せるというカタログから、その商品の世界観を表現する・・・というように変化しつつある・・・と思ったのですが・・・

 

1981年

 

そこへドン!と女性の爆弾が投下され、一気に商品の世界観というよりは女性で目を引こうという安易で、でも効果のあるカタログへと雪崩をうっていったように見えます。

 

三菱マイレディMPR601 6状植え田植機です。型式名はMPR600Dで、農研機構の登録では1981年。表紙は商品である田植機の10倍くらい、慎重は10m、体重650岐路ぐらいの女性で。しかもイメージキャラクターというよりは匿名の、どういう理由でここにいるかは、カタログを見た人にはよくわからない作りになっています。
三菱マイレディMPR601 6状植え田植機です。型式名はMPR600Dで、農研機構の登録では1981年。表紙は商品である田植機の10倍くらい、慎重は10m、体重650kgぐらいの女性で。しかもイメージキャラクターというよりは匿名の、どういう理由でここにいるかは、カタログを見た人にはよくわからない作りになっています。口さがない人達に「コネなんだぜ」とか「社長の愛人なんだぜ」と言われちゃうパターンです。しかし、こういうパターンはこのあたりから標準化していくような気がするんです。

 

1983年

 

クボタ・ブルエースXB1。12馬力、2駆・4駆。昭和58年、1983年のものだそうです。多分当時有名でないと思われる女性がフューチャーされています。あの自信に満ちた1970年代後半の「世界の名門」はどこへ行ってしまったのでしょう。
クボタ・ブルエースXB1。12馬力、2駆・4駆。昭和58年、1983年のものだそうです。多分当時有名でないと思われる女性がフューチャーされています。売り物であるトラクターしか出てこない、あの自信に満ちた1970年代後半の「世界の名門」はどこへ行ってしまったのでしょう。

 

1983年、もう34年前ですか? このころは鼻の下のノビたおじさんと、ついでにその奥さん向けにもアピールしようと、機械がドーンと全面にあるというよりはモデル(有名無名を問わず)が大きく取り上げられるパターンが多かったんですね。
1983年、もう34年前。「レゼルダ」三菱2条刈りコンバインML700・ML800のカタログです。三菱得意の巨大な女性表紙を採用。「誰なんだ」という思いは常につきまといます。

 

1984年

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