限界を超えていますか?(負荷大歓迎)

セクションに入る順番を待っている人たちです トライアル競技の単車は、極端にシートが低く、とにかく軽く、自転車みたいです photo by fujimami


おはようございます。昨日からの続きです。マラソンは苦手ですが、マラソンを走る人の気持ちはわかるような気がします。たぶん、苦しいから面白い、苦しくなくてすいすい走れたらつまらないのではないでしょうか?(でも、すいすい走れてしまったら、別な意味でおもしろくなるか)肉体的、精神的な限界って、人が決めるものではなく、自分で決めているだけなのでしょうから、生きるか死ぬかの(と、自分がが決めている)あたりでウロウロしていると、ついうっかりその線を越えてしまうことがあります。その時に新たな自分に会えるのだと思います。「越えたくない、そもそもそんな線まで行きたくない」所へ連れて行ってくれる負荷がマラソンなのでしょう。僕にとってのその負荷、全くの非日常への入り口が単車なわけです。それでも、ただ遊びで乗っているだけではなかなかそこまでは行けません。単車という料理にもう少し調味料や香辛料が必要です。例えば、「エントリー料払ったんだし、もう少し行くしかない」だの「てっぺんまで行って景色を見てみたい」だの「向こうまで突き抜けて友達に自慢したい」だったりするわけです。
 
 非日常は肉体的に大変苦しい、大変苦しいけれども、それがおもしろい。ダメと思ったその先の、新たな地平に触れてみたくて、年々勝手に下がっていく自分の限界にチャレンジしてみたりするわけです。パカパカに腕が上がって握力ゼロの右手でも、ちょっと捻るだけで乗る人の健康状態などおかまいなし、単車は命令通りに前に出ます。それにしがみついているうちにだんだん真っ白になっていくんですねえ。

 仕事だって締め切りがあるから終わるんですよね。もし締め切りがなかったらいつまでもだらだらやってきっと終わらない。締め切りがあるから完璧なものには仕上がらないけれど、とりあえすまとまった物にはなる・・・(締め切りがなければカンペにな物ができるかと言えば、そうとも言えないですものね)

 そう考えれば負荷大歓迎です。お金がなければ工夫する。仕事がなければ考える。肉体的に辛ければ生死の境をさまよう・・・負荷に鍛えられ、体にも頭にも筋肉が付いて日常になったとき、きっとまた新たな負荷を求めてしまうのでしょう。そして、まさにそんなことを考えながら走っている動画です。いや、実際はそれは後から考えたことで、その瞬間は真っ白で、ひたすら前へ前へ・・・目の前の石を乗り越えることだけを考えていたかもしれません↓

沢にて悟りの境地を開く「難行苦行DAYS!」 画面クリックでも再生します。

あ!結果ですか?疲れるとどんどん高く見える岩場で転落したせいだと思いますが、6時間ほどやった時点のお昼に、クランクケースにクラックが入ってオイルがボタボタ漏れているのを見つけてしまって、これ幸いとやめてしまいました・・・あははは 悟りの境地は遠いです。筋肉痛も打ち身ももう治ってしまいましたし、人間には「忘れる」というすばらしい特技があるので、きっとまた出てしまうのでしょうね。

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