久々の環境保全会エントリーです。
年度末で自分の仕事もめちゃくちゃ忙しいのですが、大場島地区環境保全会の書類作成、それにも増して体制整備構想案の作成で頭を悩ませています。去年やったから、大体わかっていて「一晩徹夜すればできるかな」なんて思っていたのですが、とんでもない。全然終わりません。
それに体制整備構想案(の草案)を作るのが加わっていますから・・・これはもう流れを掴んで作業になってしまった環境保全会の書類作成と違い、考えることもしなくちゃいけないので、脳みそのキャパが小さい僕には辛い作業です。でも、だいたいまとまってきました。
「あたりまえ」は財産である
体制整備構想案には、3.共同活動の将来像という部分で、(1)当地における農地・水・環境が有する社会共通資本としての役割ということを書かなくてはイケナイのですが(たぶんご当地自慢ですよね)、これって悩んじゃいます。
せっかくなので、4月からやっているこのブログで集めた材料を使おうと考えたのです。僕が住んでいる大場町島地区の自然環境は、まだまだわかりませんが、別に取り立てて珍しい動植物がいるとか(読んでくれている方はわかりますよね?)変わったものがあるとか、そんなことは全くないのです。つまり「普通」であり「あたりまえ」なんです。
なんとなく珍しいもの、スペシャルなものを探してしまいがちだけど、「あたりまえである」ということは、何もしないで「あたりまえ」の状態ではないと思うのです。「あたりまえ」だって、ひとたびバランスが崩れればあっという間に「あたりまえ」ではなくなってしまいます。そうなったら、もう「あたりまえ」でなくなった状態から、以前の「あたりまえ」に戻るためには膨大なコストが掛かってしまいます。
つまり、大場町島地区の自然環境は現在なんとか大きく手がかかる状態ではないということです。これって自慢になりませんか? しかし、島地区に限らず各地にある「あたりまえ」は、放っておいいてそうなっているのではなく、十分手はかかっており、担い手の高齢化や米作り自体がなかなか利益が上がらなくて、職業として成り立ちにくいため、後継者不足でバランスを失いかけてもいます。
他より優れたこんなにすばらしい環境があります!とか、こんなに珍しい生物が棲息しています!とかではなくて、極普通の「あたりまえ」の自然が他の地域と同じようにありますよ。これがもし、珍しくなってしまったら、個々の種や環境を再生するどころの話ではなく、膨大なコストがかかって大変なことになります。そこで「あたりまえ」を共通の社会資本として考えてください・・・という論旨にもっていこうと思うのですがどうでしょうか?
おいしい作物を作り、それを買ってもらうよう努力することも大切です。また、このような機会も、その他あらゆる機会も使って訴えて、とにかくもっとお米を食べてもらえるようになれば、農村の自然環境も良くなり「あたりまえ」は「あたりまえ」でいられますよね。そうすれば税金を使うこともなくなるだろうし・・・