島地区の長老の話と昔の空中写真が「合ってる、合ってる!」という話が続いています。
今日はそれに付随して、昔畑だったところはどうなるか?という聞いた話です。
こんなことがあったそうです。
畑であったところはどんなことがあっても畑であろうとし、道であったところはいつまでたっても道であることを主張する・・・当然、田んぼであったところは何があっても田んぼなのでしょう。
土地の記憶すごい!
と、驚いてみたものの、土地も地球の一部。その変化は億年単位なのかもしれません。
それ以外にわかったこと。
このころはもうER108が営農組合に導入されていました!
僕、気が付きました。この緑の部分、飼料稲の田んぼです。
食用米の収穫は稲を刈取って脱穀したあと、稲わらは刻んで田んぼに撒いてしまいます。ですから稲刈り後の田んぼには「>ー<」の模様が描かれ、黄色い色をしています。
しかし飼料稲はWCS(ホールクロップサイレージ)ですから、(WCS、わからない方はサイト内検索で調べてみてください)稲の茎の部分まで収穫してしまいます。ですから田んぼに稲わらは撒かれず、稲の刈りあとから二番穂が出て緑色をしているのだと思います。
1986年時点では食用米100%だったのが、2012年にはこのように飼料米が作られていたことが目に見えてわかります。
空中写真閲覧サービス、色々なことがわかりますね! みなさんお住まいの地区の写真も確認すると発見があるかもしれません。
今日はこんなところです。それではまた明日!