日本の軍はウエーク島で「けいてぃー」に会ってその能力にびっくりしたと以前書きましたが、びっくりしただけでなく同じような機械を作っていたのだそうです。それがなんとタミヤ模型から 1/48スケール 日本海軍 コマツ G40 ブルドーザー としてプラモデルになっているのとDさんが教えてくれました。
アメリカ製が「けぃてぃー」なら日本製は「けーこ」ですね!
商品紹介(http://www.tamiya.com/japan/products/32565komatsu_g40/index.htm)によると「奇跡的な帰国を果たしたG40のエピソードが読めるB5版の解説付き」とあるのが気になって(普通プラモデルにはあまりそういうものは付いていないですよね?)いたら、またしてもDさんが調べて送ってくれました。(ありがたやありがたや)
解説の中身は・・・
JAFで出しているJAFMATEのサイトにその記述を見つけたそうです。
コマツG-40・・・ちょっとブルーグレーでトラクターって言う感じじゃないですけど、これが国産初のブルドーザーだそうです。海軍での正式名称は「小松一型均土機」・・・「均土機?」「キンドキ?」意味はものすごく良くわかりますけど「音」が悪いですね・・・ロータリーの後ろについているフラップを均土板というそうですけど、その名残なのかな?
この記事にはなかなか興味深いことが書いてあります。詳しくは本文を読んでもらうとして、日本でも海軍では前回のSeaBeeのように飛行場建設にあたる設営隊は、土建屋を通して集めた人夫を雇用して要員としていたそうで、そんなに変わりはなかったようです。変わるのは「人力か機械か」「ジョン・ウエィンが居るか居ないか」だけですね。
一方の円は閉じた
戦争に行った均土機がなぜここにあるのか?
この機体はフィリピンで敗戦を迎え、米軍によって海没処理されたのだそうですが、数年後に船の航行に邪魔になるというので引き上げられ、その後レストアされて本当に不思議なことですがオーストラリアはシドニー郊外の農場で農機として働いていたのだそうです。
はたらきものの「KATY」は、働き者が故に海の働き蜂SeaBeeの一員として戦場に赴き、その「KATY」を見て驚いた日本の海軍が日本人の「けーこ」を作って戦場に送った。そしてその和製「けいてぃー」である「けーこ」は敗戦後に海の底からよみがえってオーストラリアで農業をしていた・・・流れるその「血」がそうさせたんですかねえ・・・戦争がなければどちらも農場で働いていただろうに・・・
最後に「けーこ」は日本の、しかも生まれたお家へ帰って円は閉じました。
きっと「けいてぃー」も・・・
日本で生まれ南方へ行った「けーこ」は日本に帰ってきたから、きっと「けいてぃー」も戦争が終わってアメリカ本土にたくさん戻って地元で農業をしていただろうし、今もしているのでしょうね。
う〜ん・・・草刈り機だろうが散布機だろうが迷惑動物おどし鉄炮だろうがどんなものでも武器として戦争で使えるような気がしてきました。