現代のお侍さんのCくん
津波の印象が強烈だったのでしょう・・・いつも非常持ち出し袋をスタイリッシュにデイパックに替えて持ち歩いている、かっちょいいCくん。(僕も未だに避難ザックは手元に置いています)世が世なら鮎貝家の家臣でお侍さんのCくん。
今でも時を越え、親しみを込めて鮎貝さんと呼ばれている鮎貝家に尊敬の念を持つとともに、そう呼んでいる気仙沼の人たちを何といったらいいのでしょう・・・とても愛しく思います。
復興豆腐の看板はお侍の旗印?
復興豆腐の看板はお侍の旗印みたいなものかもしれませんねぇ・・・いろいろ意見はあっても旗色を鮮明にし、力は集結させ、敵の的にはなるかもしれないけど、その旗印のもとに一致団結しなくちゃ勝てるものも勝てない・・・今は鮎貝さんはいないので、それぞれ自分で旗色を決め、旗印を作って何かと戦わなくてはいけません。
君は水洗便所に命をかけるや否や?
開高健さんの「輝ける闇」だったか、ベトナム戦争当時前線へのコカコーラや水洗便器を輸送する任務で大勢のアメリカ兵が亡くなったとあったような気がしましたが、旗印がコカコーラや水洗便所だったと知らないで兵士が戦ったとしたら、ちょっとがっかりなのではないでしょうか?
本当に命をかけちゃダメだと思いますが、万が一そんなことになったら、それはそれなりの価値を見いだせるものでなくてはいけません。コカコーラや水洗便器の旗印では、ちょっと・・・「コイツ鼻糞ほじりながらテキトーに作ったな」と思われては入る力も入らないでしょう。
考えて見れば、コカコーラや水洗便器もすばらしい工業製品ですし、人々に愛され使われています。それでもそのために命をかけるわけにいかないし、かけたくないよなあ・・・と思う(少なくとも僕は)・・・旗印は便利なだけではダメ。オイシイだけでもダメ。ましてや清潔なだけでもダメ。そういう中での思考試行錯誤になります。
言い訳させてくださいよぉ
よく、CI(コーポレートアイデンティティ:Corporate Identity 略称:CI)のマニュアルなどで、何たらは広がる大地を表し、うんたらは限りなく青い大空を表す・・・云々・・・とあって、「ケッ」とか思うこともありますが、それでも「思考」の過程や意味を明らかにして共有するというのは旗印としては大事なことです。お侍はそれを自分なりに解釈して、その中に意味を見いだし、そしてそれに何かをかけるわけですから・・・
よくある「企業理念」とか、単に「理念」というものですが、それは大事なことだと思います。迷ったら戻るところですし、Cくんもきっと今までの先達の営みがあり、お客さんや地元の人たち、それからある意味震災をきっかけとして出会った新たな人たちに支えられた今と、そしてそれがベースのこれからの挑戦があるのだ・・・と、ことあるたびに思い出してもらえると信じています。
くどくどと長くなってしまいましたが、まあ、それってつまり「ケッ」の言い訳なわけです。でも、どんなに木っ端ズカシクても、これはつまびらかにしなくてはなりません。心はともかく、面の皮厚く「そう考えます」と言い切るぐらい考え抜かなくちゃ・・・と、思うわけであります!(年末のせいか、長州言葉になっているであります!)
店主が納得して「GO!」って言わないともちろん何も作れないのだ!
とはいっても、オーナーの了解がないと作れません。まずはこんなんになるけどどう?っていう絵を書きます。
あまりに遠方で現調ができませんから、Cくんに何回も知りたい部分の寸法を計ってもらいながら、遠隔操作の状態で進めていきます。
続きます。
能書きはいいから早く作れよ!って感じですね・・・ほんとだ!早く作って取付けなくては来年になってしまう!(実際にはもうついています)
追記:アップしたら、すぐにDさんから直にメールをもらいました。「便器で戦争」でA-1スカイレーダーを思い出したとのこと・・・ウィキペディアによると
余談だが、本機の兵装搭載量は当時、「キッチン以外に運べない物はない」と評されるほどであり、それを受けて朝鮮戦争では実際に流し台を翼下に”兵装”として搭載し、投下したことがある。また、ベトナム戦争の際には上述の評を受けて「もはやこの機体が搭載したことがないのはトイレくらいのものである」と言うジョークが生まれ、「それならば」ということで「信管を取り付けた便器」を搭載し、実戦で投下した。
とあります。
旗印と言うか、ベトナムで便器まで落としてしまう・・・次元が違いすぎます。落とされたほうも何ともいいようがありません。朝鮮戦争でキッチンを落とし、ベトナムで便器を落とし、便器とともに死す・・・アメリカはあらゆる意味ですごい。同じ土俵で戦ってはいけませんね。