実際に動いているところ見てみたい!1957年、ヰセキ人力稲刈り結束機R1A型(人力バインダー)

昨日のイセキMB-1100に引っぱられ、見たものと井関農機の社史の答え合わせが続いています。

今日は千葉県の伊藤産業機械さんに連れて行っていただいた、私設の農機具歴史資料館で見た、1957年に本格生産開始のヰセキ人力稲刈り結束機R1A型(人力バインダー)です。

デバイダーというのでしょうか?先端の稲を分けるフォーク部分が大きいので、動力の乗った現在のバインダーと比べるとひとまわりかふたまわり大きい感じです。大径タイヤが特徴的。
デバイダーというのでしょうか?先端の稲を分けるフォーク部分が大きいので、動力の乗った現在のバインダーと比べるとひとまわりかふたまわり大きい感じです。大径タイヤが特徴的。

ものすごく程度が良いです。と、いうより使った痕跡がないかも・・・というくらい。もしかしたら展示品なのかもしれません。

この機械のもっとも特徴付けるパラサウロロフスな部分。なんでしょう?ハンドルがついています。どう使うのか見てみたい!このハンドルをまわして刈取った稲をバインド=縛る するのでしょうか?
この機械のもっとも特徴付けるパラサウロロフスな部分。なんでしょう?ハンドルがついています。どう使うのか見てみたい!このハンドルをまわして刈取った稲をバインド=縛る するのでしょうか?
なんか似てません?

人力といっても単純な機械ではなく、現在のバインダーのエンジンの代わりを「ヒト」がするというもののようです。

エンジンで自走するわけではありませんから、押すことによってタイヤがまわり、その力でバリカンを動かすのでしょうね。(同じヰセキで刈払機のような丸のこで稲を刈るタイプもあったそうですですが、これはバリカンタイプなのではないかと思います。確信はないですが。)
エンジンで自走するわけではありませんから、押すことによってタイヤがまわり、その力でバリカンを動かすのでしょうね。(同じヰセキで刈払機のような丸のこで稲を刈るタイプもあったそうですですが、これはバリカンタイプなのではないかと思います。確信はないですが。)

これだけの機械、片手では押せないでしょうから、両手でハンドルを持って押して行く・・・ある程度の稲を刈って縛る段になったら押す手を休め、パラサウロロフスのハンドルをまわして稲の束を縛る・・・そんな作業をしていたのでしょうか?

稲刈りの機械は開発しようにも年に1回しかテストできないので大変だったそうです。しかし、このような機械ができる前は鎌で手刈りしていたわけですから、何とかしたいと思うのも当然です。

『井関農機60年史』によれば、刈取機の研究は1953年に始まり、1957年には商品化したものの売れず、1953年に特許を考案した人をアイディアごと買い取ってこのR1A型を完成させたようです。

1945年ころには機械を押して一束分稲を刈り、地面に寝かせておいておくタイプの刈取機のアイディアはあったものの、結束機として成功したのはR1A型が最初というニュアンスの書き方でした。

機械として完成された美しい形です。
機械として完成された美しい形です。

その特長と性能を引用しておきます。

R1A型の特長は、
①操作が簡単で刈取りから結束まで一貫して作業ができる。
②稲の倒伏に対する適応性が高く、また、湿田でも作業が可能である。
③束の大きさを任意に調節できる。
などにあり、重量は20kg、能率は反(10a)当り3〜4時間で、刈取機開発史上、画期的な製品であった。

『井関農機60年史』106p

この機械、20キロしかないのは驚きです。さすがエンジンのない人力機械。とても売れたそうで、専用の工場まで作って1963年からは年間1万台以上も生産したようです。

実際に動いているところ、見てみたいです。

エンジンがない分、故障も少なかったかもしれませんね。しかし、考えてみれば機械ではなく道具、鎌ならもっと故障が少ない・・・

農作業を便利でラクにする農機具製作という仕事ができると、農機具修理とかエンジン修理という仕事ができ、大きくお金も動く・・・「便利でラク」というのは小さかった経済を大きくするポイントなのかぁ。

今日はこんなところです。また明日!

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