日本で最初の自脱型コンバイン、イセキHD50型@北海道開拓の村

で、なぜかそこにあったのが日本で最初の自脱式コンバイン(と、当人が称している)井関農機のHD50型。『井関農機60年史』によると、1967(昭和42)年7月、国産自脱型コンバインの尖兵として生産・販売を開始した。とあります。

今日は北海道開拓の村で見た、日本で最初の自脱型コンバインイセキHD50型(多分)です。

 

北海道開拓の村(ほっかいどうかいたくのむら、英称:Historical village of Hokkaido)は、北海道札幌市厚別区厚別町小野幌(野幌森林公園内)にある野外博物館で、明治の頃の建物がたくさん移設されている魅力的な施設です。
北海道開拓の村(ほっかいどうかいたくのむら、英称:Historical village of Hokkaido)は、北海道札幌市厚別区厚別町小野幌(野幌森林公園内)にある野外博物館で、明治の頃の建物がたくさん移設されている魅力的な施設です。

 

入場券などを販売する管理棟は札幌停車場で、木造だと思われるのに写真のフレームに納まりきらない大きさです。
入場券などを販売する管理棟は札幌停車場で、木造だと思われるのに写真のフレームに納まりきらない大きさです。

 

で、なぜかそこにあったのが日本で最初の自脱式コンバイン(と、当人が称している)井関農機のHD50型。『井関農機60年史』によると、1967(昭和42)年7月、国産自脱型コンバインの尖兵として生産・販売を開始した。とあります。
で、なぜかそこにあったのが日本で最初の自脱式コンバイン(と、当人が称している)井関農機のHD50型。『井関農機60年史』によると、1967(昭和42)年7月、国産自脱型コンバインの尖兵として生産・販売を開始した。とあります。以前取りあげたことがあるので2回目の登場です。

 

運転中は手を入れないでください「危険」というステッカーも生き残っていて、本体は再塗装と思われるもなかなかのグッドコンディションです。
実機を見るのは初めてです。運転中は手を入れないでください「危険」というステッカーも生き残っていて、本体は再塗装と思われるもなかなかのグッドコンディション!

 

前述の『井関農機60年史』によればHD50の仕様・特長は

 

  1. 高能率で刈取りから脱穀までの作業時間を約16分の1に短縮した

  2. 小型軽量(500kg)で、価格も小売50万円と手ごろである

  3. 小回りができるので小区画の圃場でも十分使える

  4. 脱穀部が時脱型タイプなので穀粒損失、消費動力が少ない

  5. 操作系等が簡素化されているため、熟練したオペレーターを必要としない

  6. クローラを特殊構造としたため、走行性能が安定している

  7. 草丈に合わせて扱ぎ深さを調節することができる

  8. 刈高さを自由に調節することができる

  9. 専用の籾袋ホルダーをワンタッチで交換する事ができ、途中で機械をとめなくてよい

 

とあります。

 

また、HD50は1968(昭和43)年の「HD50A型」1969(昭和44)年には「HD50B型」と立て続けに改良し、同1969(昭和44)年に折りたたみイスつきの乗用歩行兼用型の「HD50R型」そしてついに1970(昭和45)年には初めての乗用型「HD650型」「HD660型」を発売したそうです。

 

文字がジャマなのでどけてみると・・・どうも愛称が「Frontier」というみたいです。いまでも「フロンティア」という名前は使ってますよね?
イセキのサイトの写真と比べると、こちらのほうは運転中は手を入れないでください「危険」のステッカーも失われていますし、その下のカバーも失われています。

 

上の写真に比べると回転部分の注意書きも残されていますし、ヰセキコンバインのステッカーも残っており、販売されたオリジナルの状態に近いものと思われます。
上の写真に比べると回転部分の注意書きも残されていますし、ヰセキコンバインのステッカーも残っており、販売されたオリジナルの状態に近いものと思われます。こちらはデバイダ上部の長丸の中央に穴がないです。

 

そこから各社が競って市販品開発をはじめたという経緯のようです。
イセキのサイトのHD50と同じ機体と思われる別の角度からの写真。プーリーに掛かったベルトの取り回しも違いますね。

 

明日から使えるんじゃないか?というくらいの素晴らしいコンディションのHD50。どういう経緯でそこにあったのか、なにも情報はありませんでした。きっと色々な物語があったのでしょうね。

 

今日はここまでです。また明日!

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。