日本の近代化に寄与した養蚕。第6章生命に関わる技術「日本を変えた千の技術博@国立科学博物館」

休みの日は見に来る人も少ないので今日は趣向を変えて・・・国立科学博物館で開催されていた、明治150年記念、日本を変えた千の技術博という特別展で見たものいろいろ・・・その21です。

 

こんな展示です。WEBページによれば・・・ 明治改元から150年、そして2019年に予定される改元。 時代が転換するこの機会にあわせて日本を大きく変えていった科学・技術の成果が一堂に集まります。 日本各地の大学・研究機関や企業などから、 600を超える点数の貴重な科学・技術の遺産が上野の国立科学博物館に大集合! 科学者・技術者の発明・発見にまつわるエピソードや世相、関連する写真などを合わせ、 "日本を変えた千の技術"をたっぷりと紹介していきます。 中でも、「重要文化財」や、「化学遺産」、「機械遺産」、「情報処理技術遺産」、 「でんきの礎」、 「未来技術遺産」に認定された約50点の資料は特に注目です! だそうです。 開館時間 : 午前9時~午後5時 (金曜日、土曜日は午後8時まで、入館は各閉館時間の30分前まで) 休館日 : 毎週月曜日(2月25日は開館、2月12日はお休み)
こんな展示です。WEBページによれば・・・

明治改元から150年、そして2019年に予定される改元。
時代が転換するこの機会にあわせて日本を大きく変えていった科学・技術の成果が一堂に集まります。
日本各地の大学・研究機関や企業などから、
600を超える点数の貴重な科学・技術の遺産が上野の国立科学博物館に大集合!
科学者・技術者の発明・発見にまつわるエピソードや世相、関連する写真などを合わせ、
“日本を変えた千の技術”をたっぷりと紹介していきます。
中でも、「重要文化財」や、「化学遺産」、「機械遺産」、「情報処理技術遺産」、
「でんきの礎」、 「未来技術遺産」に認定された約50点の資料は特に注目です!

もう終っちゃいましたけどね。

 

これは農業に少しかかわり合いがあるかもしれません。化学研究、その中でも天然物の研究です。 第6章「生命に関わる技術」 日本の化学研究は、東アジア特産の天然物の研究によりいち早く世界レベルに達し、世界的な医薬品の開発やノーベル賞へと結実しました。日本の伝統的な産業である養蚕や稲作は、明治期になると科学的な品種改良が取り入れられ、大きく進歩しました。現在では、遺伝子技術を応用した品種改良が進められ、新たな展開を見せています。 とあります。ただし、その技術による成果品は粉や液体でしかなく、機械類と違って見えにくいです。
化学研究、その中でも天然物の研究、先週からの続きです。

第6章「生命に関わる技術」
日本の化学研究は、東アジア特産の天然物の研究によりいち早く世界レベルに達し、世界的な医薬品の開発やノーベル賞へと結実しました。日本の伝統的な産業である養蚕や稲作は、明治期になると科学的な品種改良が取り入れられ、大きく進歩しました。現在では、遺伝子技術を応用した品種改良が進められ、新たな展開を見せています。

とあります。
誰が見ているのか?ダラダラと続いていますが、今日は養蚕。前回の生物由来の成分分析に続いた生き物系です。

 

農商務省 原蚕種製造所綾部支所 看板 1911〜1914(明治44〜大正3)年 原蚕種製造所は、繭と生糸の品質向上及び管理のため1911(明治44)年の勅令第150号によって設置された施設である。同所は、蚕糸試験場、蚕糸・昆虫農業技術研究所などを経て、現在は農業・食品産業総合技術研究機構の農業生物資源研究所となっている。 とあります。昆虫農業技術ですか・・・聞こえはいいけどちょっとこれは苦手ですね・・・昆虫たってカイコっていうイモ虫ですから。
農商務省 原蚕種製造所綾部支所 看板
1911〜1914(明治44〜大正3)年
原蚕種製造所は、繭と生糸の品質向上及び管理のため1911(明治44)年の勅令第150号によって設置された施設である。同所は、蚕糸試験場、蚕糸・昆虫農業技術研究所などを経て、現在は農業・食品産業総合技術研究機構の農業生物資源研究所となっている。

とあります。昆虫農業技術ですか・・・聞こえはいいけどちょっとこれは苦手ですね・・・昆虫たってカイコっていうイモ虫ですから。

 

奥のパネル,人物紹介。 外山亀太郎(とやまかめたろう)  遺伝学者、蚕種改良家。帝国大学農科大学(現・東京大学農学部)で学ぶ。現蚕種製造所の技師や東京帝国大学教授を歴任。メンデルの法則を初めて動物(カイコ)で確認し、また雑種強勢の原理を発見し、カイコの品質向上に貢献した。 とあります。「雑種強勢」そんな言葉があったんですね!
奥のパネル,人物紹介。

外山亀太郎(とやまかめたろう)
 遺伝学者、蚕種改良家。帝国大学農科大学(現・東京大学農学部)で学ぶ。現蚕種製造所の技師や東京帝国大学教授を歴任。メンデルの法則を初めて動物(カイコ)で確認し、また雑種強勢の原理を発見し、カイコの品質向上に貢献した。

とあります。「雑種強勢」そんな言葉があったんですね!

 

Wikipediaで調べてみると・・・

雑種強勢

両親の交配により、どちらよりも優良形質な雑種を生み出すことである。品種改良で優れた種同士を掛け合わせ、より優良な「新種」を産生する事象とは異なる。

ロバの子であるラバや、カイコ養蚕や、ニワトリ養鶏にも利用され、雑種強勢を利用したハイブリッド品種やF1作物と呼称される農作物が多種産生されている。種苗会社が繁殖用品種の親株とする二種を別々に自植または同種の他殖で栽培を継続し、毎期その間に産生される雑種を一代限りの栽培品種として販売するものがF1作物で、これを購入後に栽培し収穫する農家が、栽培品種から雑種第二代(F2)の種子を得ても、優良形質はほとんど得られない。

 

うわ!なんだか思っていたのと違う・・・字面から「雑種は強いよ」ということかと思ったら、「トンビが鷹を生む。でもその子供はトンビ」ってことじゃないですか!!(ですよね?違います?)

 

種苗会社がずっと商売を続けるしくみみたいなものでしょうか。優れた作物の種を採って再生産することはできず、毎回種を買わなくては同じ結果が得られないということと理解できるような書き方です。へ〜。

 

モナカが並んでいるみたいですが、繭の標本です。 繭標本 天然のカイコを数千年かけて、繭を取るために品種改良したものがカイコである。明治初期には、微粒子病で壊滅的な打撃を受けた欧州に大量に輸出された。逆に明治中期から昭和初期には、イタリアやフランスから多くの原種が輸入され、在来日本種・中国産に欧州種が加わり、日本独自の優良品種開発が進んだ。 とあります。
モナカが並んでいるみたいですが、繭の標本です。

繭標本
天然のカイコを数千年かけて、繭を取るために品種改良したものがカイコである。明治初期には、微粒子病で壊滅的な打撃を受けた欧州に大量に輸出された。逆に明治中期から昭和初期には、イタリアやフランスから多くの原種が輸入され、在来日本種・中国産に欧州種が加わり、日本独自の優良品種開発が進んだ。

とあります。

 

左の巨大なカイコや繭の気味の悪い模型に目が行ってしまいますが、右下は外山さんが初めて確認したという蚕メンデル遺伝模型 一般的にメンデルの法則といわれる遺伝の法則について、カイコを使って示した展示模型。F1(雑種第1代)に現れていない両親の特性が、F2(雑種第2代)に発現していることがわかる。 とあります。
左の巨大なカイコや繭の気味の悪い模型に目が行ってしまいますが、右下は外山さんが初めて確認したという蚕メンデル遺伝模型

一般的にメンデルの法則といわれる遺伝の法則について、カイコを使って示した展示模型。F1(雑種第1代)に現れていない両親の特性が、F2(雑種第2代)に発現していることがわかる。

とあります。

 

この展示のカタログには

 

日本はカイコの餌となる桑の生育に適しており、江戸時代には、幕府も奨励したため、養蚕は非常に盛んになっていました。さらに養蚕の技術も進み、「養蚕秘録」のような、技術書も書かれています。19世紀後半以降は、微粒子病によって欧州の養蚕業が大打撃を受けたことや、アメリカ市場の活況もあり、殖産興業を掲げる明治政府にとって生糸は一番の輸出品であり、結果として我が国の近代化を支えることになりました。

 

と書いてあります。日本の近代化は僕の苦手なイモ虫、カイコが支えていた・・・ということなんですね。そして、そのカイコを育てていたのが桑。

 

日本はカイコの餌となる桑の生育に適して云々・・・とありますが、本当にそう思います。どこもかしこもノラ桑ばかり。僕の家も頼んでもいないのにいつの間にか桑が生えて、あっという間に大きくなってしまいます。

 

根本ギリギリから切り倒しても、春になるとボーボーと葉っぱが出てきて始末におえません。桑の息の根を止めるのにはどうしたら良いのでしょうか・・・

 

今日はこんなところです。また明日!

 

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