「田植機考古学」クボタ昔の田植機発掘、歩行型田植機SPS-4000その2

今日は「田植機考古学」。hokkaidoujinさんの案内で行った私設博物館の中で見た歩行型で、苗と顔を合わせながら植えるような形、クボタの歩行型田植機SPS-4000「撮り田植機?」その2です。

トラクターは比較的情報が多いのに、古い田植機となるとほとんど情報がありません。ましてや田植機の年表となると皆無です。時間をかけても、朝さっと調べて書いた前回以上の新しい情報を引っぱってくることができませんでした。

まずは前回のおさらいから・・・

———————————————

短縮版ですぐ終っちゃって申し訳ないです。このSPS-4000、農研機構のサイトにも出てこないし、銀と赤のカラーリングはごくごく初期の田植機に見られるものなので、1970年代初期のものと思われます。
短縮版ですぐ終っちゃって申し訳ないです。クボタの田植機、SPS-4000です。金属製と思われる美しいフロート2つの中心から、丸くて太いパイプが伸びていて、今の田植機とはずいぶん形が違います。ちょっとトラクターと作りが似ています。このSPS-4000、農研機構のサイトにも出てこないし、銀と赤のカラーリングはごくごく初期の田植機に見られるものなので、1970年代初期のものと思われます。
ぱっと探したかぎりにおいては画像が見つからなかったのですが、関連してクボタのコーポレートサイトの中の『農業機械|技術の系譜|』(http://www.kubota.co.jp/rd/evolution/agriculture/detail/detail.html)に記述を見つけました。
ぱっと探したかぎりにおいては画像が見つからなかったのですが、関連してクボタのコーポレートサイトの中の『農業機械|技術の系譜|』(http://www.kubota.co.jp/rd/evolution/agriculture/detail/detail.html)に記述を見つけました。

『農業機械|技術の系譜|』の『稲作農家の長年の夢かなえる。過酷な作業工程をついに機械化。念願の田植え機が誕生』によれば、

田植え作業の機械化は、稲作農家にとって長年の夢でした。明治時代からさまざまな試みがされましたが、どれも実用には至らず、開発は困難を極めていました。そこでクボタは他社の方式とは異なる、育苗箱を使用した「ばらまき育苗方式」による「土付苗田植機」に注力。1968年にSP形を開発、翌年には歩行形田植え機の原型となる1輪2条植えのSPS形を発売、1970年に量産を開始しました。

とあります。僕の見たSPS-4000は二輪ですが、苗と顔を合わせながら植えるタイプですし、エンジンがかなり前方にあって若干上を向いていることから、1970年の1輪2条植えのSPS形の流れを組んでいるに違いありません。

というわけで、少なくとも農研機構のサイトにある一番古いクボタの田植機、S300(1976年)よりは古く、SPS型が発売された1970年よりは新しい・・・1970〜1976の間に作られたものだと思います。

何だか赤い頭のペンギンみたいですよね! なかなか美しいです。

———————————————

と、前回の話はここまで

銀色のベルトカバーにSPS-4000の文字が見えます。エンジンはLG140型
銀色のベルトカバーにSPS-4000の文字が見えます。エンジンはLG140型
LG140型はヤフオクで結構売られています。ガソリンエンジンのようです。
LG140型はヤフオクで結構売られています。ガソリンエンジンのようです。
ちょっと読みにくいのですが、最大2.8PS定格2.0PSと書いてあるみたいです。
ちょっと読みにくいのですが、最大2.8PS定格2.0PSと書いてあるみたいです。
グレーのトレーは備え付けのもののようです。予備の苗置き台なのかな?
グレーのトレーは備え付けのもののようです。予備の苗置き台なのかな?

SPSにも色々ある

検索しているとクボタのサイトの中の「鉄コーティングブログ」の中にデッドストックのSPS型の記事を見つけました。
検索しているとクボタのサイトの中の「鉄コーティングブログ」の中にデッドストックのSPS型の記事を見つけました。
SPS-28というものらしいです。
SPS-28というものらしいです。
今でも新車の一輪タイプの歩行型田植機売ってました!!需要があるってことですよね? クボタSPW-28C 価格¥213,840 ただ、これだけ何の愛称もナシ。他のはみ〜〜〜んなあるのにこれだけナシ。なんででしょう?「春風」でいいじゃん。もしくは「春風二世」とか・・・
今でも新車の一輪タイプの歩行型田植機売っていて、似たような型番です。 クボタSPW-28C 価格¥213,840 名前の付け方は似ていて、SPW-2まではSPW型の2条植えということだと思うんです。末尾の8がよくわかりませんが、SPW-2型のどこかを改良したもの、もしくはエンジンのタイプとか・・・

同じようにSPS-28型とこのSPW-28Cの共通部分が「8」を表しているはず!

 また、クボタバーチャルムージアムには
また、クボタバーチャルミュージアムには

「田植機」の製造を開始

田植え作業の機械化は、稲作農家にとって長年の夢でした。当社がその開発に着手したのは昭和32年頃で、本格的な研究に取り組んだのは38年。同じ頃、他社もさまざまな方式で開発を進めていました。
 当社が機械化に最適と考えたのは育苗箱を使用した「ばらまき育苗方式」による「土付苗田植機」です。昭和43年にSP形を開発し、翌44年には歩行形田植機の原型となる1輪2条植えのSPS形を発売、45年には量産を開始しました。
 育苗箱で稲を密植するため育苗スペースが苗代栽培の20分の1になるなどメリットが多く、その後、他社のほとんどの田植機がこの方式を採用するようになりました。

技術の系譜に書かれていたこととと似たようなものですが、右側の写真のキャプションにSPS2形とあるのに注目です。やはりSPS型の2条植えはSPS-2と呼ばれていたようです。

SPS-2は何かしらの改良を経て鉄コーティングブログにあるようなSPS-28になり、まだ見たことはないですが3桁のSPS-◯◯◯(仮に4条植えのSPS-400としましょう)、そして今回の4桁、SPS-4000になった・・・という感じでしょうか。

ただ、SPS-400で検索してもヒットしないんですけどね。SPS-4000も僕の写真の1件だけ・・・田植機の年表を作るのは難しそうです。

上の記事とゆるく関連しているほかの記事:

“「田植機考古学」クボタ昔の田植機発掘、歩行型田植機SPS-4000その2” への4件の返信

  1. H2さん こんばんは

    情報ありがとうございます
    見てません見てません
    へえ〜こんなのがあったんですか・・・YM12A 、初めて見ました

    ヤンマー100年史には

    農業機械メーカー各社は一斉にトラクタの本格的な開発に着手した。トラクタは農機の基幹商品となり、それを欠いては農機業界では生き残れないという認識からであった。 竹下鉄工、藤井製作所、協和農機の3社がそれぞれ開発を開始し、1963 年に協和農機の YM18A(18 馬力)がヤンマー農機では初のトラクタとして商品化された。その後、トラクタの開発は綜合技術研究所に引き継がれ、1966 年2月には竹下鉄工と共同で YM160(10 馬力)、協和農機と共同で YM260(20 馬力)を発売した。

    と書いてあるのに空冷ラインは全く触れられていませんねえ・・・

    空冷エンジンはイレギュラーだったのかな・・・

  2. H2さん おはようございます

    トラクターの年表、発売50年記念だったんですね!
    コンバインのページは知りませんでした
    できたらもっと大きく昔のコンバインの写真を載せてくれればよかったのに・・・

    しかしこれからは省力化で乾田直播になっていくんじゃないかなと思っています。昔は田植機というものがあってね、という時代が来るかも。

    技術の進歩で農法と機械が大きく変わってしまうというわけですね。早く見てみたいものです

  3. 初期の田植機はいろいろなパターンがあったんですね。
    クボタの田植機は1970年が最初ですか? なら、2019年の半ばには、(翌年の)発売50年の記念ページが作られるんじゃないでしょうか。トラクターもコンバインも記念ページが作られましたし。
    noraさんはご存知でしょうが、知らない方のためにURL貼っておきます。
    http://www.jnouki.kubota.co.jp/jnouki/Special/os/history/index.html
    http://www.jnouki.kubota.co.jp/product/combine/50th_combine_sp/

    しかしこれからは省力化で乾田直播になっていくんじゃないかなと思っています。昔は田植機というものがあってね、という時代が来るかも。

H2 へ返信する

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。