富士ロビン耕耘機7馬力・・・「撮りトラ@土の館」

機種名:動力耕耘機 形式・仕様:ロビン 7馬力 製造社・国:富士重工㈱ 日本 導入年度:1956(昭和31)年 使用経過:国産の耕耘機も実用の段階に入る。リバーシブルプラウ(ドイツのホルダー社)やいろいろな作業機を工夫して使用した。 1960(昭和35)年には耕耘機の全盛時代となる。 当時の動力源は、牛で引かせる車が主で、小さなトレーラは使いよく重宝であった。

ご近所蕎麦打ちサミットでひいてしまった風邪がやっと直ってきました。今日は、北海道上富良野町にあるスガノ農機の『「土の館」 土と犂の博物館』で見た、富士ロビン耕耘機「撮り虎」です。

今回は写真が超少なめ。どうも耕耘機は僕には魅力的に見えないみたいで、タイヤが2つしかないと通り過ぎてしまう傾向にあります。すべてを手で操作するのでワイヤーだらけで、小さいくせにゴチャゴチャしているからでしょうか。

それでもよくよく見れば何かが見つかるはずですよね・・・耕耘機にもっと愛を!!←自分に言ってます。

機種名:動力耕耘機 形式・仕様:ロビン 7馬力 製造社・国:富士重工㈱ 日本 導入年度:1956(昭和31)年 使用経過:国産の耕耘機も実用の段階に入る。リバーシブルプラウ(ドイツのホルダー社)やいろいろな作業機を工夫して使用した。 1960(昭和35)年には耕耘機の全盛時代となる。 当時の動力源は、牛で引かせる車が主で、小さなトレーラは使いよく重宝であった。
オリジナルカラーなのかはわかりませんが、鮮やかな黄色のロビン耕耘機。同じ馬力なのに右隣のクボタ耕耘機に比べてスリムでコンパクト。
機種名:動力耕耘機 形式・仕様:ロビン 7馬力 製造社・国:富士重工㈱ 日本 導入年度:1956(昭和31)年 使用経過:国産の耕耘機も実用の段階に入る。リバーシブルプラウ(ドイツのホルダー社)やいろいろな作業機を工夫して使用した。 1960(昭和35)年には耕耘機の全盛時代となる。 当時の動力源は、牛で引かせる車が主で、小さなトレーラは使いよく重宝であった。
カバーがかかっているのでよくわかりませんが、この耕耘機も工事現場でおなじみのロビンエンジンが載っているのでしょうか・・・
佐藤造機は歩行式田植機も作ってたんだ!富士ロビンはあぜねり機とあぜけずり機。手押しタイプのこんな機械があるなんて知らなかった・・・
機械化農業1978年4月号の広告。1966年に富士ロビン株式会社という名前になったそうです。その、富士ロビンも2007年にマキタに買収され、マキタ沼津という名前になり、2013年にマキタ本体に吸収合併され完全に消滅してしまいました。

ウィキペディアによれば

自社製品のブランド名でもあった「ロビン」は富士重工業が産機事業で使用しているブランド名のため、「ラビット」に変更した。現在は農業機械、防災機器で使用している。なお、「ラビット」は富士重工業が生産した「ラビットスクーター」に由来する。

ということで、DNAはもちろん残っているでしょうが、ロビンの痕跡は少しだけ残っています。

そういえば富士ロビンはコマツとも組んでインターナショナルコンバインなどの大型機械も売っていたんですよね。こんなに有名な会社なのに、単独でやっていくということは難しいことなんですねえ・・・

機種名:動力耕耘機 形式・仕様:ロビン 7馬力 製造社・国:富士重工㈱ 日本 導入年度:1956(昭和31)年 使用経過:国産の耕耘機も実用の段階に入る。リバーシブルプラウ(ドイツのホルダー社)やいろいろな作業機を工夫して使用した。 1960(昭和35)年には耕耘機の全盛時代となる。 当時の動力源は、牛で引かせる車が主で、小さなトレーラは使いよく重宝であった。
キャプションを読んでみましょう。

機種名:動力耕耘機
形式・仕様:ロビン 7馬力
製造社・国:富士重工㈱ 日本
導入年度:1956(昭和31)年
使用経過:国産の耕耘機も実用の段階に入る。リバーシブルプラウ(ドイツのホルダー社)やいろいろな作業機を工夫して使用した。
1960(昭和35)年には耕耘機の全盛時代となる。
当時の動力源は、牛で引かせる車が主で、小さなトレーラは使いよく重宝であった。

「いろいろな作業機を工夫して使用した」というのがいいです。

機械というものは「自分の欲しい機能を頭を使って追加する」・・・そもそもそういうものだったのですね。

今まで外国製(特にアメリカ製)バイクのパーツなどは「ボルトオン」と謳いながらも、穴を開け直したりハンマーで叩いたりの作業が必要なことが多く、『ちっともボルトオンじゃねえじゃん!!怒』となっていたのですが、反省してその作業自体も楽しむことにしなくては・・・

機種名:動力耕耘機 形式・仕様:ロビン 7馬力 製造社・国:富士重工㈱ 日本 導入年度:1956(昭和31)年 使用経過:国産の耕耘機も実用の段階に入る。リバーシブルプラウ(ドイツのホルダー社)やいろいろな作業機を工夫して使用した。 1960(昭和35)年には耕耘機の全盛時代となる。 当時の動力源は、牛で引かせる車が主で、小さなトレーラは使いよく重宝であった。
なかなかステキなオデコ。でも、ずいぶんぶつけてボコボコになっちゃってますね。凹んだのを裏からたたき出したのかもしれない。

今日はこれでおしまいです。また明日!

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