「土の館」のチェリートラクタ CT101
今日はまたまた「撮りトラ」。スガノ農機「土の館」で見たチェリートラクタ、3台目です。
神農工社で開発され販売されていたのですが、ビクターオートという会社でも売られ、さらには井関農機でも売られていることがわかり、ちょっと混乱しています。
神農工社もビクターオートもネット上に情報はほとんどナシ
神農工社もビクターオートもネット上には情報が殆どありません。本で調べれば出てくるのかなあ・・・ビクターオート(株)は戦後存在した大きな会社だと思うのですが、それがどうなったのかはよくわかりません。
その中でチェリートラクタに関係する会社をつなげるかすかな記述を「東京大学農場博物館」のウェブサイトで見つけました。
企画展 「耕耘(こううん)用機械の発達史」の解説の部分に
チェリートラクター CT101G型
1953(昭和28)年から青森県弘前市にあった神農工社が開発し、川崎市ビクターオートが1955(昭和30)年から製造し始めたとされています。当時としては最新鋭の出力10PS、排気量496ccの空冷2サイクルディーゼルエンジン(国産化した西独のSTIHL(シュティール)社製)を搭載していました。1959(昭和34)年からはヰセキ(現井関農機)でも、TC10型とTC15型が製造・販売され始め、ヰセキトラクタのルーツでもあります。
とあるんです。
この記述からすると、神農工社、ビクターオート(株)、井関農機は「チェリー」という名前を中心に、何らかの関わりがあったととれます。
神農工社が作ったものをビクターオート(株)や井関農機が勝手に作るわけにも行かないだろうし、農場博物館の記述によれば・・・
1953(昭和28)年から青森県弘前市にあった神農工社が開発し
そして、以前紹介した「土の館」のチェリートラクタのキャプションには・・・
1953年(昭和28)弘前市の神農工社がトラクタの開発に入り、三輪タイプを商品化している。
In 1953 (Showa 28),Jinnou Kousya of Hirosaki-shi began development for tractors.
「開発し」?「開発に入り」とは??
何か奥歯に挟まったような書き方です。開発したんだけど商品化まではできなかった?