やり方はともかく、最終的に食べる蕎麦の形(細く長くという意味で・・・)はだんだんサマになってきた環境保全会の蕎麦、今年も活動の一環として種まきを行いました。
種まき「ごんべえ」の構造などは、2010年の蕎麦の種まきの記事や2011年の蕎麦の種まきの記事を見てもらうとして、今年は種まきの密度の話です。
「何となく合意システム」
経験に基づく意見がそれぞれあっておもしろく、それらが一気に出てくるのですが、どういうわけだか最終的に一つに決まってしまうのが「阿吽の呼吸」というか興味深いです。議会なんかでよく「議論を尽くして」などと言いますが、こういう感じなのでしょうか?
僕の中のイメージは議論と言うと激しくやり合い、相手を叩きのめす「ディベート」みたいなイメージだったのです。でも、考えてみればそれって禍根を残すこともあるますよね? そもそもみんな正しいことを言っているわけですもん。否定されたように感じて残念に思うこともありそうです。
あ、話がそれましたけど、そういうことでこの、「何となく合意にいたるシステム」っていいなあ・・・と思ったわけです。
「何となく合意システム」とごんべえによる蕎麦の種まき
ガイドの(畦の距離)長さにそれぞれ意見があるみたいでした。
ごんべえちゃん