先日の草刈とゴミ拾いの様子です。大勢の人による大変な作業ですけどきれいになるから気持がいいです。ただ、例えば石川川河口の草刈だってこれがお金になるとしたら黙っててもいつもきれいになっているはずです。
だって、パイプライン端末の蛇口なんてお金になるもんだから頼みもしないのにきれいに刈り取られてしまうんですから・・・
河口のヨシとか茅だってヨシズとか屋根などに加工してお金になればいいんですけど、今度はこの間の「お金の単位を時間に言い換えよう」の話ではないですが手間の割にはお金にならないので放置されてしまいます。でも、結局誰かがやらなくちゃいけないんですよね。
手間がかからず効率よくお金になることは誰もがやるので、誰もやらないことが最後に残ってそれにけっこうなコストがかかってしまう・・・そこの分は税金で処理されるわけなのかな? ということは効率よくお金を稼いだと思っても社会全体の生産性はちっとも上がっていないのかもしれません。
船を使った河口の草刈
↑ ほんのちょっとの距離の向こう岸だけど、ジャンプでは届きません 船がいります 1分そこそこ
消費税上げないで瓶や缶のデポジットを上げようよ
ゴミ処理にしてもそうですね。昔訪れた国ではジュースやビールの瓶はリターナル瓶で、中身に対してそのデポジットが3割くらいととても大きく、もったいないので瓶を捨てるなんてとんでもないことでした。
それはアルミ缶でも同じで、デポジットが商品の値段の多くを占めているので、たとえお金持ちが瓶や缶をポイ捨てしたとしてもそれはお金を捨てるようなものですから、子供や貧しい人がすぐに拾って換金してしまうので紙ゴミやプラゴミが放置されても瓶や缶がそこらへんに散らばっているということはありませんでした。
消費税を上げるよりビン缶のデポジットを大幅に上げたほうが、ゴミ処理にかかるお金や地域のゴミ拾いの負担が減り、社会全体の生産性が上がる効果が期待できるかもしれませんね。何でやらないんだろう? ついでに発泡トレーやペットボトルなんかもそうしてしまえばいいのに・・・・
もちろんめんどくさい人は捨てていいんです。きっとそれを拾う人が出てきますから。でも今度はビンドロボーとか缶ドロボーが出てきちゃうかもしれませんけど・・・
とにかく春のゴミ拾いの時よりゴミが少なくなっているような気がしたのは喜ばしいことですが、やっぱり草むらの中から数々の缶や瓶を発見するのはイヤなものです。
草刈の様子
ゴミ拾いの様子
ゴミ捨て禁止の小さな看板建てても良いとIさんがOKを出してくれたので、田んぼの法面に突き刺してみたいと思います。