今日は田植機考古学、札幌農学校第二農場で見たヤンマー・ダイキン工業のフロート式動力苗まき機(ひも苗式)ヤンマーFP2Aです。
札幌農学校第二農場
同時多発的に様々な田植えの機械化が試され、マット式に収束していった田植機
また、前述の農業近代化の歩みを世界へ 「農機事業」というヤンマーのpdfでは
バインダの開発で他社に後れをとったヤンマー農機は、田植機での巻き返しを図ってダイキン工業株式会社と提携し、1967 年 5 月にいち早くひも苗式の田植機(動力苗まき機)TP21 を発売した。その後、改良を重ねながらY30P、FP2 を相次いで投入し、3年間で3万 8,700 台を販売して業界総出荷台数の 57%を占めるまでになったが、やがて市場では散播式田植機が大勢を占めるようになり、バインダと同様に商品の大幅な見直しを迫られることになった。
ということでTP21→Y30P→FP2→FP2Aというひも苗式の系譜になっているみたいです。また、FP2AはTP21の後継機ですから1967年より後の生まれということになります。
また、同じく農業近代化の歩みを世界へ 「農機事業」というヤンマーのpdfに
1972(昭和 47)年 2 月にヤンマー農機、ダイキン工業、神崎高級工機の3社技術陣で新たなプロジェクトチームを結成して散播・マット式田植機の開発に取り組み、同年末には AP2 を、翌 1973 年8月には YP2 を発表した。
とあり、新たなマット式の田植機が1972年に開発されたということなので、FP2Aは1967年から1972年の間に生まれたものと考えられます。
田植機はトラクターに比べて最近のものなのに、資料がほとんど残っていません。社史などでも本の数行ということもしばしば。しかも、現物もほとんど残っていません。年式を特定するのはとても難しいです。
とりあえず(仮)で、ダイキン・ヤンマーFP2Aは1970年生まれということにしておきます。
ひも苗式の機械が動いているところを現在見ることはありません。どういう感じだったのか見てみたいですね。
今日はここまでです。また明日!