再発見!日本で最初の動力式田植機かも!(いろいろ考えるに)ダイキン・ヤンマー動力苗まき機TP21(ひも苗式)@札幌農学校第二農場

今日は田植機考古学。展示とそのキャプションが合わないなあ・・・と写真をキャプションを行ったり来たりしているうちに、僕にはとても有用な情報を引き当てました。

キャプションではスター・三菱の成苗田植機とされていた田植機です。ただ、ハンドルの付け根にダイキンのロゴが見え「コロコロと製品の提供先を変えていたのだろうか?」と、不思議に思っていたのです。
キャプションではスター・三菱の成苗田植機とされていた田植機です。ただ、ハンドルの付け根にダイキンのロゴが見え「コロコロと製品の提供先を変えていたのだろうか?」と、不思議に思っていたのです。
その田植機の植付け部の写真です。苗のせ台からローラーで苗を引き出し、シューターで下に落とし、土を寄せて植付けるシステムのようです。中央にハンドルが見え、そこにプレートが付いています。
その田植機の植付け部の写真です。苗のせ台からローラーで苗を引き出し、シューターで下に落とし、土を寄せて植付けるシステムのようです。中央にハンドルが見え、そこにプレートが付いています。

拡大してみます。 ダイキン TP21形苗まき機 と書いてあるのではないでしょうか? なんと!スター・三菱の機械ではなく、隣のフロート式動力苗まき機(ひも苗式)ヤンマーFP2Aのご先祖様、ダイキン・ヤンマーの動力苗まき機(ひも苗式)TP21形じゃないですか!!!たまたま「後でよくみてみよう」と写真を複数撮っていたのがこの発見に繋がりました。
拡大してみます。ダイキン
TP21形苗まき機

と書いてあるのではないでしょうか?
なんと!スター・三菱の機械ではなく、隣のフロート式動力苗まき機(ひも苗式)ヤンマーFP2Aのご先祖様、ダイキン・ヤンマーの動力苗まき機(ひも苗式)TP21形じゃないですか!!!たまたま「後でよくみてみよう」と写真を複数撮っていたのがこの発見に繋がりました。

農業近代化の歩みを世界へ 「農機事業」というヤンマーのpdfでは、1967 年 5 月にいち早くひも苗式の田植機(動力苗まき機)TP21 を発売したにもかかわらず、市場をマット苗式に席巻された苦い記憶として記されていました。写真はそのYP21(ひも苗式)です。
農業近代化の歩みを世界へ 「農機事業」というヤンマーのpdfでは、1967 年 5 月にいち早くひも苗式の田植機(動力苗まき機)TP21 を発売したにもかかわらず、市場をマット苗式に席巻された苦い記憶として記されていました。写真はそのTP21(ひも苗式)です。写真はそのPDFで動力苗まき機TP21(1968)として紹介されているものです。
キャプションではスター・三菱の成苗田植機とされていた田植機です。ただ、ハンドルの付け根にダイキンのロゴが見え「コロコロと製品の提供先を変えていたのだろうか?」と、不思議に思っていたのです。
もう一度既出の写真と見比べてみます。pdfにある先端のおもりは失われていて、鉄車輪もなぜかラグタイヤに交換されています。pdfのTP21と同じものとみていいでしょう。苗のせ台もよく考えればひも苗式の特長をそなえています。
こちらは後継のYP30による田植えのようす。
こちらは後継のY30P(1968年)による田植えのようす。
その田植機の植付け部の写真です。苗のせ台からローラーで苗を引き出し、シューターで下に落とし、土を寄せて植付けるシステムのようです。中央にハンドルが見え、そこにプレートが付いています。
こちらでももう一度既出の写真と見比べてみます。植付け部も片肺で、田んぼを均すソリの部分の部品も一部失われています。シューターの上でウレタンのひも苗をカットして、シューターの先端で刻んだ溝に落とし、ディスクで土を寄せて植付けるわけですね!
エンジン部分
エンジン部分
円筒形マフラー。エンジンは2ストローク。
円筒形マフラー。エンジンは2ストローク。

ダイキン・ヤンマーのTP21は1967年生まれ

前述の農業近代化の歩みを世界へ 「農機事業」というヤンマーのpdfでは

バインダの開発で他社に後れをとったヤンマー農機は、田植機での巻き返しを図ってダイキン工業株式会社と提携し、1967 年 5 月にいち早くひも苗式の田植機(動力苗まき機)TP21 を発売した。その後、改良を重ねながらY30P、FP2 を相次いで投入し、3年間で3万 8,700 台を販売して業界総出荷台数の 57%を占めるまでになったが、やがて市場では散播式田植機が大勢を占めるようになり、バインダと同様に商品の大幅な見直しを迫られることになった。

とありました。さらに・・・

クボタのマット苗SPS形動力田植機は1970年

ぱっと探したかぎりにおいては画像が見つからなかったのですが、関連してクボタのコーポレートサイトの中の『農業機械|技術の系譜|』(http://www.kubota.co.jp/rd/evolution/agriculture/detail/detail.html)に記述を見つけました。
関連してクボタのコーポレートサイトの中の『農業機械|技術の系譜|』(http://www.kubota.co.jp/rd/evolution/agriculture/detail/detail.html)にSPS型の記述を見つけました。

『農業機械|技術の系譜|』の『稲作農家の長年の夢かなえる。過酷な作業工程をついに機械化。念願の田植え機が誕生』によれば、

田植え作業の機械化は、稲作農家にとって長年の夢でした。明治時代からさまざまな試みがされましたが、どれも実用には至らず、開発は困難を極めていました。そこでクボタは他社の方式とは異なる、育苗箱を使用した「ばらまき育苗方式」による「土付苗田植機」に注力。1968年にSP形を開発、翌年には歩行形田植え機の原型となる1輪2条植えのSPS形を発売、1970年に量産を開始しました。

とあります。

イセキのマット苗円筒型PC20形動力田植機は1970年試験販売

イセキの社史「井関農機60年史」174pに 「■PC20型とフロート式PF20型の開発」としてこのような記述がありました。 当社が田植機に開発大正をマット苗用円筒型に切り替えたことは第4章で述べたが、その試作第一号機が完成したのは昭和43年9月である。市場テストを重ねて商品化を検討した結果、円筒と車輪にナオ改善の余地があったので、基本仕様の見直しを行ない、構造・機能の欠点を是正して、44年7月に「PC20型」として商品構成に加え、45年から試験販売を開始した。 とあります。
イセキの社史「井関農機60年史」174pに「■PC20型とフロート式PF20型の開発」としてこのような記述がありました。
当社が田植機に開発対象をマット苗用円筒型に切り替えたことは第4章で述べたが、その試作第一号機が完成したのは昭和43年9月である。市場テストを重ねて商品化を検討した結果、円筒と車輪になお改善の余地があったので、基本仕様の見直しを行ない、構造・機能の欠点を是正して、44年7月に「PC20型」として商品構成に加え、45年から試験販売を開始した。

とあります。イセキの動力田植機は昭和45年、つまり1970年に販売されたということです。マット苗円筒形かひも苗式かの違いはありますが鉄車輪の耕耘機タイプというところがダイキン・ヤンマーのTP21型と似ていますよね!

他のメーカーでもっと早く開発・販売に成功したところがあるかもしれませんが、現時点では1970年のクボタ/イセキを抑えて1968年販売のダイキン・ヤンマーTP21動力田植機がトップを走っていることがわかります。

今日はここまでです。まだまだ田植機考古学は続きます。それではまた明日!

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