明治維新でこんなに色々変わったの?「日本を変えた千の技術博@国立科学博物館」

休みの日は見に来る人も少ないので今日は趣向を変えて・・・国立科学博物館で開催されている、明治150年記念、日本を変えた千の技術博という特別展で見たものいろいろです。

 

写真はWikipediaより。 国立科学博物館は子供の頃行ったきり。超々久しぶりです。

写真はWikipediaより。
国立科学博物館は子供の頃行ったきり。超々久しぶりです。国立だけあって圧倒的な物量・・・智の迷宮です。特別展の入場料は¥1600でしたが、その料金で常設展も見られるので、時間のある方にはかなりおトクです!

 

こんな展示です。WEBページによれば・・・ 明治改元から150年、そして2019年に予定される改元。 時代が転換するこの機会にあわせて日本を大きく変えていった科学・技術の成果が一堂に集まります。 日本各地の大学・研究機関や企業などから、 600を超える点数の貴重な科学・技術の遺産が上野の国立科学博物館に大集合! 科学者・技術者の発明・発見にまつわるエピソードや世相、関連する写真などを合わせ、 "日本を変えた千の技術"をたっぷりと紹介していきます。 中でも、「重要文化財」や、「化学遺産」、「機械遺産」、「情報処理技術遺産」、 「でんきの礎」、 「未来技術遺産」に認定された約50点の資料は特に注目です! だそうです。 開館時間 : 午前9時~午後5時 (金曜日、土曜日は午後8時まで、入館は各閉館時間の30分前まで) 休館日 : 毎週月曜日(2月25日は開館、2月12日はお休み)

こんな展示です。WEBページによれば・・・

明治改元から150年、そして2019年に予定される改元。
時代が転換するこの機会にあわせて日本を大きく変えていった科学・技術の成果が一堂に集まります。
日本各地の大学・研究機関や企業などから、
600を超える点数の貴重な科学・技術の遺産が上野の国立科学博物館に大集合!
科学者・技術者の発明・発見にまつわるエピソードや世相、関連する写真などを合わせ、
“日本を変えた千の技術”をたっぷりと紹介していきます。
中でも、「重要文化財」や、「化学遺産」、「機械遺産」、「情報処理技術遺産」、
「でんきの礎」、 「未来技術遺産」に認定された約50点の資料は特に注目です!

もう終っちゃいましたけどね。

 

 

膨大な展示の第一章は「明治維新、化学と技術で世が変わる」というタイトルで始まります。 明治維新からまもなく、政府は神仏分離令や太陽暦と12時間制の採用など、旧習を一掃する制度改革を行なうと同時に、鉱山、鉃道や電信などの近代化を国家主導で推し進めました。また、「学制」や「医制」を発布し、近代的学校制度と、衛生・医療制度の基礎をつくります。日本人が主導的役割を果たせるようになるまで、多くの外国人指導者に指導を仰いだのです。

膨大な展示の第一章は「明治維新、化学と技術で世が変わる」というタイトルで始まります。

明治維新からまもなく、政府は神仏分離令や太陽暦と12時間制の採用など、旧習を一掃する制度改革を行なうと同時に、鉱山、鉃道や電信などの近代化を国家主導で推し進めました。また、「学制」や「医制」を発布し、近代的学校制度と、衛生・医療制度の基礎をつくります。日本人が主導的役割を果たせるようになるまで、多くの外国人指導者に指導を仰いだのです。

と書かれています。
何が変わった・・・と具体的にいろいろ書かれていますが、つまり、全部変わった・・・ということなのでしょう。しかもそれらは全て外国から学ぶ・・・なんて素直で謙虚なのだろう・・・と思います。政府の人達は明治維新を成し遂げて、少しは自信やプライドもあったと思われるのに、為政の中身を外国の人にそっくり教わる判断をしたわけですから・・・

 

具体的に何が変わったか・・・と言えば教育が変わりました。近代的な学校制度を整えたということのようです。子供たちは寺子屋から学校に通うようになりました。これは文部省が製作・出版したとされる「教育錦絵」。力とエネルギーの関係の絵でしょうか・・・考えてみれば江戸時代から寺子屋などの教育によって日本人の識字率は驚異的な水準にあったといいますし、どういうわけだか明治になると「西洋の代名詞」と捉えられたのか物理ブームが起きたのだそうです。その物理をわかりやすく描いていますよねぇ・・・確かにこのような錦絵があったら、普段生活している上で不思議に思ったことをズバッと解決してくれるような気持になります。

具体的に何が変わったか・・・と言えば教育が変わりました。近代的な学校制度を整えたということのようです。子供たちは寺子屋から学校に通うようになりました。
これは文部省が製作・出版したとされる「教育錦絵」。力とエネルギーの関係の絵でしょうか・・・考えてみれば江戸時代から寺子屋などの教育によって日本人の識字率は驚異的な水準にあったといいますし、どういうわけだか明治になると「西洋の代名詞」と捉えられたのか物理ブームが起きたのだそうです。その物理をわかりやすく描いていますよねぇ・・・確かにこのような錦絵があったら、既に持っていた文字を読む力で、普段生活している上で不思議に思ったことをズバッと理解させてくれたような気持になります。

 

おじさんたちが樽を積み込んでいるのは、今で言うトラックというわけなのでしょうけど、その荷台にはロープを掛ける「フック」はないんですね・・・その代わりにロープのほうにフックが付いています。おもしろいですね!最終的にどのように縛ったのか見てみたいです。今でも使える技があるに違いありません。

おじさんたちが樽を積み込んでいるのは、今で言うトラックというわけなのでしょうけど、その荷台にはロープを掛ける「フック」はないんですね・・・その代わりにロープのほうにフックが付いています。おもしろいですね!最終的にどのように縛ったのか見てみたいです。今でも使える技があるに違いありません。

 

ヘンな顔。

ヘンな顔。

 

大阪師範学校・・・小学用博物・・・園?(なんて読むのだろう・・・)第二級鳥之等類・・・何のことかわかりません。鳥の細かい絵がずらっと並んでいます。昔の小学生、ずいぶん難しいことを学んでいたのですね。

大阪師範学校・・・小学用博物・・・園?(なんて読むのだろう・・・)第二級鳥之等類・・・何のことかわかりません。鳥の細かい絵がずらっと並んでいます。昔の小学生、ずいぶん難しいことを学んでいたのですね。

 

キャプションには 島津製作所製「人体模型」 1895(明治28)年には、島津製作所の二代目島津源蔵が教育用の人体模型や動物標本の本格的販売を始めた。その後同社が開発した軽くて発色が良い島津ファイバー製の人体模型は広く普及するようになる とあります。 小学校から医療系の学校まで広く教育が変わった・・・ということなのでしょう。

キャプションには

島津製作所製「人体模型」
1895(明治28)年には、島津製作所の二代目島津源蔵が教育用の人体模型や動物標本の本格的販売を始めた。その後同社が開発した軽くて発色が良い島津ファイバー製の人体模型は広く普及するようになる
とあります。

小学校から医療系の学校まで広く教育が変わった・・・ということなのでしょう。

 

大きさはかなり小ぶり。小学校に上がる前の子供といった感じです。そしてその体内にこのような臓器が納められていたと思われます。キャプションにある通り、100年以上前のものとは思えない発色というか色で、一体どういう作りをしているのだろう・・・と思わせます。島津ファイバー・・・どんな材料なのだろう。Wikipediaにもファイバー製のマネキンを完成・・・とあるだけです。ファイバーといったっていろいろありますよねえ・・・

大きさはかなり小ぶり。小学校に上がる前の子供といった感じです。そしてその体内にこのような臓器が納められていたと思われます。キャプションにある通り、100年以上前のものとは思えない発色というか色で、一体どういう作りをしているのだろう・・・と思わせます。島津ファイバー・・・どんな材料なのだろう。Wikipediaにもファイバー製のマネキンを完成・・・とあるだけです。ファイバーといったっていろいろありますよねえ・・・

 

これは色々変わった中で建築も変わったよ・・・ということで展示されていた、 『凌雲閣機絵双六』 1890(明治23)年 歌川国貞(三代)/画 所蔵:東京電力ホールディングス電気の資料館 大河ドラマに出ていて、「昔にこんな建物あったの?」と、ウソだと思っていたのですが実在したのです。これには少し驚きました。(凌雲閣という名前は少し大げさですが)Wikipediaによれば、大阪と東京にあったようで 凌雲閣(りょううんかく)は、明治時代に大阪と東京に建てられた眺望用の高層建築物。 大阪の凌雲閣は1889年竣工の高さ39m9階建て、東京の凌雲閣は1890年竣工の高さ52m12階建て。どちらも現存しない。 とあります。東京の凌雲閣は1890年竣工の高さ52m12階建てって、めちゃめちゃ高いじゃないですか!

これは色々変わった中で建築も変わったよ・・・ということで展示されていた、
『凌雲閣機絵双六』
1890(明治23)年 歌川国貞(三代)/画
所蔵:東京電力ホールディングス電気の資料館
大河ドラマに出ていて、「昔にこんな建物あったの?」と、ウソだと思っていたのですが実在したのです。これには少し驚きました。(凌雲閣という名前は少し大げさですが)Wikipediaによれば、大阪と東京にあったようで

凌雲閣(りょううんかく)は、明治時代に大阪と東京に建てられた眺望用の高層建築物。 大阪の凌雲閣は1889年竣工の高さ39m9階建て、東京の凌雲閣は1890年竣工の高さ52m12階建て。どちらも現存しない。

とあります。東京の凌雲閣は1890年竣工の高さ52m12階建てって、めちゃめちゃ高いじゃないですか!

 

写真はWikipediaより。

写真はWikipediaより。

 

そしてなんと凌雲閣にはエレベーターまで設置されていたそうです。全く今と変わりませんね。 こちらは同じく展示されていた、日本で3番目のエレベーター。(凌雲閣のエレベーターは日本で最初のものだったそうです) オーチス社(イギリス)製で、キャプションには 本機は、1896(明治29)年に日本銀行本店(日本橋)と三菱三号館(丸の内)についで国内3番目に導入された最古級の乗用エレベーターであり、1901(明治34)年に関野貞博士の設計による日本生命保険本店(大阪市)に設置された。 とあります。また、中に乗っているのはエレベーターボーイのマネキンで、こちらもキャプションによると 1960年代に当館でオーチス製エレベーターを展示していた際のマネキン。その後、1985(昭和60)年に2号館(「理工館」。後の「たんけん館」)改装時にエレベーターごと閉鎖され、1994(平成6)年に「たんけん館」解体時に、エレベータとともに当時の研究者により救出された。 とあります。 エレベーターごと閉鎖って・・・どういう意味でしょう・・・もしかして建物に設置された状態で展示されていたのでしょうか???

そしてなんと凌雲閣にはエレベーターまで設置されていたそうです。全く今と変わりませんね。
こちらは同じく展示されていた、日本で3番目のエレベーター。(凌雲閣のエレベーターは日本で最初のものだったそうです)
オーチス社(イギリス)製で、キャプションには

本機は、1896(明治29)年に日本銀行本店(日本橋)と三菱三号館(丸の内)についで国内3番目に導入された最古級の乗用エレベーターであり、1901(明治34)年に関野貞博士の設計による日本生命保険本店(大阪市)に設置された。

とあります。また、中に乗っているのはエレベーターボーイのマネキンで、こちらもキャプションによると

1960年代に当館でオーチス製エレベーターを展示していた際のマネキン。その後、1985(昭和60)年に2号館(「理工館」。後の「たんけん館」)改装時にエレベーターごと閉鎖され、1994(平成6)年に「たんけん館」解体時に、エレベータとともに当時の研究者により救出された。

とあります。
エレベーターごと閉鎖って・・・どういう意味でしょう・・・もしかして建物に設置された状態で展示されていたのでしょうか???

 

明治時代って、チョンマゲがなくなっただけで残りは全部江戸時代だと思っていました。(学校で習ったのでしょうが、記憶にありません)

 

実際は江戸時代の資産を引き継いだ上にほとんど現代と変わらないモノやコトが存在していたんですね。ちょっとびっくりしました。

 

今日はここまでです。また明日!

 

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