昔の道具その1@美原農機具生活用具歴史館

今日はhokkaidoujinさんに案内していただき、andoさんと一緒に見た、個人で昔の道具を収集、保存、展示している美原農機具生活用具歴史館の道具たちです。

ご先祖が入植されてから2018年でちょうど100年になるというので、こんな石碑まで作っています。2018年までは本格的に公開しないつもりなのか、ブルーシートと網で幾重にもぐるぐる巻きの厳重梱包されていたのですが、わざわざ開いてみせてくれました。
ご先祖が入植されてから2018年でちょうど100年になるというので、こんな石碑まで作っています。2018年までは本格的に公開しないつもりなのか、ブルーシートと網で幾重にもぐるぐる巻きの厳重梱包されていたのですが、わざわざ開いてみせてくれました。

美原農機具生活用具歴史館の由来
○○家初代辰之助は、和歌山県有田郡金屋町字小川より大正七年(一九一八)三月、北海道に開拓を志した江別市美原三十三線に移住する。当時の美原は自然の原野で笹っ原の湿地泥炭地です。
茅葺き屋根、掘っ立て小屋農業の始まりです。水害六回冷害九回、大自然の災害幾多の困難を乗り越え2018年入植から百年をむかえる。初代当時から苦労して求めた農具、生活用具、使命果した品々に感謝し、大切に保存し後世に伝える歴史館です。
二〇一一年七月 二代目 ○○○○

一部分伏せ字にしています。短いですけどストレートでいい文章だなあ・・・と思います。この地で苦労したパイオニア、フロンティアが石碑を建立した人のすぐ上世代というのがすごいです。開拓がリアルすぎます。

ただ眺めているぶんには美しくて、「美原」という地名になったのだと思います。でも湿地泥炭地ということですから、開拓者にとっては皮肉にも取れたでしょう。

その歴史館の外壁には絵が描かれています。なんでも学生さんが無償で当時のイメージを描いてくれたのだそうです。
その歴史館の外壁には絵が描かれています。なんでも学生さんが無償で当時のイメージを描いてくれたのだそうです。
ここら辺一体はこのように絵が描かれた建物がチラホラ見受けられました。
ここら辺一体はこのように絵が描かれた建物がチラホラ見受けられました。

茶色い写真ばかりになってしまいますが、中の写真を・・・写真の数字とキャプションを合わせて読んでください。同じものが重なっているのも多いですが、この、美原農機具生活用具歴史館に入って眺めている感じということでご勘弁を。

①水田株間除草機 昭和25年頃 ②手押し除草機(水田用)本田式 昭和5年頃 ③水稲除草機二条用 昭和25年頃 ④除草倍土器 水田で使用 昭和25年頃 ⑤水田倍土器 昭和40年頃
①水田株間除草機 昭和25年頃 ②手押し除草機(水田用)本田式 昭和5年頃 ③水稲除草機二条用 昭和25年頃 ④除草倍土器 水田で使用 昭和25年頃 ⑤水田倍土器 昭和40年頃

除草機の多さに驚かされます。僕のうちの近所にもどこかに残っていたりするのでしょうか? 確かに一家に一台はあったでしょうから、欲しいとなったらかなりの数集まることは想像できます。

①鬼ハロー砕土機 一頭引き用 大正10年頃 ②スクレッパ 馬で水田の高低ならし 昭和25年頃
①鬼ハロー砕土機 一頭引き用 大正10年頃 ②スクレッパ 馬で水田の高低ならし 昭和25年頃

名前がいいです。鬼ハローとは「鬼のように砕く」という今風の意味ではなく、「鬼の角」のような爪が付いているところから来ているんでしょうねえ・・・スクレッパ、ダンプキャリアと同じ構造です。

①水田株間除草機 昭和25年頃 ②手押し除草機(水田用)本田式 昭和5年頃 ③鎮圧機(一頭引き用)稲の古株を土中に沈める 昭和30年頃 ④水稲除草機二条用 昭和25年頃 ⑤除草倍土器 水田で使用 昭和25年頃 ⑥水田倍土器 昭和40年頃 ⑦手押し稲刈(オチ式)昭和22年頃
①水田株間除草機 昭和25年頃 ②手押し除草機(水田用)本田式 昭和5年頃 ③鎮圧機(一頭引き用)稲の古株を土中に沈める 昭和30年頃 ④水稲除草機二条用 昭和25年頃 ⑤除草倍土器 水田で使用 昭和25年頃 ⑥水田倍土器 昭和40年頃 ⑦手押し稲刈(オチ式)昭和22年頃
①水稲除草機二条用 昭和25年頃 ②スクレッパ 馬で水田の高低ならし 昭和25年頃 ③千歯扱き(せんばこき)米・麦 脱穀用 明治40年頃より昭和30年頃まで使用 ④縄綯い機(なわないき) 大正5年頃 ⑤柾釘打ちハンマ 昭和2〜40年使用 ⑥柾の束(まさのたば)屋根材 大正10年頃 ⑦バチカルポンプ 代かき補水用 昭和15年頃
①水稲除草機二条用 昭和25年頃 ②スクレッパ 馬で水田の高低ならし 昭和25年頃 ③千歯扱き(せんばこき)米・麦 脱穀用 明治40年頃より昭和30年頃まで使用 ④縄綯い機(なわないき) 大正5年頃 ⑤柾釘打ちハンマ 昭和2〜40年使用 ⑥柾の束(まさのたば)屋根材 大正10年頃 ⑦バチカルポンプ 代かき補水用 昭和15年頃

縄綯い機(なわないき)、いいですよねえ。輸入に頼る日本ですから、この機械が脚光を浴びる日がこないとも限りません。こういうローテクな機械はイザというときに働くため、是非残っていて欲しいです。

①水稲除草機二条用 昭和25年頃 ②除草倍土器 水田で使用 昭和25年頃 ③水田倍土器 昭和40年頃 ④手押し稲刈(オチ式)昭和22年頃  ⑤手押し稲刈機 ワイヤ式(ニッサン)昭和25年頃 ⑥バチカルポンプ 代かき補水用 昭和15年頃
①水稲除草機二条用 昭和25年頃 ②除草倍土器 水田で使用 昭和25年頃 ③水田倍土器 昭和40年頃 ④手押し稲刈(オチ式)昭和22年頃  ⑤手押し稲刈機 ワイヤ式(ニッサン)昭和25年頃 ⑥バチカルポンプ 代かき補水用 昭和15年頃

この写真で気になったのはワイヤー式手押し稲刈機。大きなハサミでチョキチョキ稲刈したということでしょうか? 切れ味はどうだったのでしょう・・・あまり力がいるようだとちょっと稲刈しただけで腕がパンパンになってしまいそうです。

腰を屈めて稲刈をしなくてよいのは助かりますけど、稲自体を刈るのは鎌でジャキッとやったほうが楽なような気が・・・

①バチカルポンプ 代かき補水用 昭和15年頃 ②縄綯い機(なわないき)昭和10〜35年まで使用(サトーF型と書いてあります) ③噴霧器 背負い 昭和30年頃 ④噴霧器 家庭用 昭和25年頃 ⑤小豆蒔き 大正10年頃 ⑥豆まき機
①バチカルポンプ 代かき補水用 昭和15年頃 ②縄綯い機(なわないき)昭和10〜35年まで使用(サトーF型と書いてあります) ③噴霧器 背負い 昭和30年頃 ④噴霧器 家庭用 昭和25年頃 ⑤小豆蒔き 大正10年頃 ⑥豆まき機

プラスチックが機械に使われていないのがいいですね!

①稲刈り機(遊星号)昭和40年頃 ②ミスト機 昭和40年頃 ③張り板 糊付した布を張り干す 明治30年頃 ④タンス 嫁入り道具 明治30年頃
①稲刈り機(遊星号)昭和40年頃 ②ミスト機 昭和40年頃 ③張り板 糊付した布を張り干す 明治30年頃 ④タンス 嫁入り道具 明治30年頃

手押し式、手動の稲刈機から動力の付いた稲刈機になってきました。でも見たことのない形です。張り板というのもおもしろいです。ただの板を持ちやすくして売っていたんですね。

①水稲除草機二条用 昭和25年頃
①水稲除草機二条用 昭和25年頃
①米・麦、脱穀機 昭和15年〜40年頃まで使用 ②四輪荷馬車 昭和15年〜40年頃まで使用
①米・麦、脱穀機 昭和15年〜40年頃まで使用 ②四輪荷馬車 昭和15年〜40年頃まで使用

木でできていますけど、コンバインの中身にすごくよく似た形。

①馬橇(ばそり) 雪道 馬で荷物の運搬 昭和25年頃まで使用 ②客 馬橇(ばそり) 昭和10年頃
①馬橇(ばそり) 雪道 馬で荷物の運搬 昭和25年頃まで使用 ②客 馬橇(ばそり) 昭和10年頃

何で橇かなあ・・・と思ったのですけど、考えてみたら冬はこのあたり雪が積もっているんですものね。車輪タイプより橇のほうが冬はいいに決まっています。

①タンス 嫁入り道具 明治30年頃 ②長もち 嫁入り道具 明治30年頃 ③米櫃(こめびつ)明治10年頃 ④藁ホルダー 稲結束用 昭和20年頃 ⑤藤箕(ふじみ) 米・豆等を集めて袋・叺(かます)などに入れる道具 大正2年頃
①タンス 嫁入り道具 明治30年頃 ②長もち 嫁入り道具 明治30年頃 ③米櫃(こめびつ)明治10年頃 ④藁ホルダー 稲結束用 昭和20年頃 ⑤藤箕(ふじみ) 米・豆等を集めて袋・叺(かます)などに入れる道具 大正2年頃
①除草機 1畦用 昭和10年頃 ②藁ホルダー 稲結束用 昭和20年頃                                      ③藤箕(ふじみ) 米・豆等を集めて袋・叺(かます)などに入れる道具 大正2年頃 ④倍土器 馬鈴薯の土よせ 昭和10年頃 ⑤プラオ・一式 畑お耕し(馬用)昭和2年頃 ⑥畑の砕土ハロー 一頭引き 昭和40年頃まで使用 ⑦砕土ハロー 馬で引く 大正4年〜昭和40年頃まで使用 ⑧筵(むしろ)説明文読めず 昭和30年頃まで ⑨米選機(ピアノ線式)昭和20年頃 フカザワ式米選機と書いてあります ⑩大豆小豆集め機 昭和60年頃まで
①除草機 1畦用 昭和10年頃 ②藁ホルダー 稲結束用 昭和20年頃 ③藤箕(ふじみ) 米・豆等を集めて袋・叺(かます)などに入れる道具 大正2年頃 ④倍土器 馬鈴薯の土よせ 昭和10年頃 ⑤プラオ・一式 畑お耕し(馬用)昭和2年頃 ⑥畑の砕土ハロー 一頭引き 昭和40年頃まで使用 ⑦砕土ハロー 馬で引く 大正4年〜昭和40年頃まで使用 ⑧筵(むしろ)説明文読めず 昭和30年頃まで ⑨米選機(ピアノ線式)昭和20年頃 フカザワ式米選機と書いてあります ⑩大豆小豆集め機 昭和60年頃まで

石碑にもありましたが、「苦労して求めた農具、生活用具、使命果した品々に感謝し、大切に保存し後世に伝える」
、特に使命果した品々に感謝というところに共感します。

供養という形で捨てる方法もありますが、その感謝の形の一つとしてこのような展示し伝えるという方法もあるのだなあ・・・と思ったのでした。

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