なぜ古いものに惹かれるか考えてみる(日曜日は開店休業)

日曜日は見に来る人が少ないので、今日は写真も絵もナシでちょっと考えてみます。

ワクワクにも種類がある

僕は「撮りトラ」で写真を撮っていても「昔のカタログ」でカタログを眺めていても、古いもののほうがワクワクします。「どうしてだろう・・・」と、ずっと不思議に思っていました。

単純に「ワクワクするもの」といっても、大きくわけて2種類あるような気がします。(もしかしたらもう少しあるのかもしれませんが)

現役の農家の皆さんはトラクターにしても、それ以外の農業機械にしても、仕事をするという前提で機械を手に入れるでしょう。

ということは、価格や仕事をするための機能を天秤にかけて、ちょっぴりそれ以外の魅力的なスパイスの効いた(このメーカーが好きとか、デザインがカッコいいとか・・・)品物を選ぶのだと思います。

ところが、トラクターを必要のない人からすると、機能は関係ない上にどうせ買わないわけですから「欲しい」と思うものは純粋にそのモノの「魅力」の賜物のはずです。

つまり、ワクワクの中の2つの気持とは、使うことを考えてワクワクすることと、そのモノ自体にワクワクすることの2種類というわけですね。

値段のタガも機能のタガも外して純粋に魅力的なもの・・・と眺めると、僕の場合に限っての話ですけど、それは古いものになってしまう・・・何で?・・・ということです。

仮説をたててみる

先日のダークツーリズムで思ったことは、「人の存在というものは大きい」ということです。

これは文字通りの意味で、人が存在しなくなった地域というのは、考える以上に抜け殻状態で、人がいる・・・ということは、実はすごく大きなエネルギーを回りに放射していそうだ・・・と感じたんです。

自然の中に点在する家々を高速道路を走るクルマの中から見下ろして、そう思うくらいですから、相当なエネルギーです。

異論はあるでしょうが、勝手にひとつの仮説をたててみます。

モノには人のエネルギーが宿り、その魅力はそのエネルギーに比例する

僕は神秘主義者ではありません。きっとこれはまだだれも研究していなくて(いや、もしかしたら誰かが研究してるカモ)そのうち科学的に立証されるんです。(あ!あまり真面目に捉えないでくださいね!!日曜日のお遊び、妄想です。)

トラクターに当てはめると

この仮説をトラクターの話に当てはめてみましょう。

昔、トラクターを作る人は「良いトラクターをつくって農家を楽にしよう」という気持、思い入れを持って会社に入り、もしくはそういう気持を持って工夫ズキの鍛冶屋さんがトラクターを作ったのではないでしょうか。

(想像の上に仮説を乗せるというのがそもそも間違っていますが、お遊びなのでお許しを・・・)

今、は「良いトラクターをつくって農家を楽にしよう」と思っても、トラクターを作る会社は大会社ですからその部署に配属されるかどうかわかりませんし、そもそも「○○社」に入るのが大変すぎてその先の「良いトラクターをつくって農家を楽にしよう」みたいなビジョンを描くのが難しくなってきています。

さらには昔と同じような気持を持ってモノを作ったとしても、生産量が違いますから、気持/生産量で1台当りのキモチ量が少なくなってしまいます。

ダメ押しですが、仮説でモノには人のエネルギーが宿るわけですから、古いトラクターは使ってきた人のエネルギーが使った時間だけ宿っていることになります。

結論

値段や機能の差を除外した純粋な商品の魅力度は・・・

まず、同じ工業製品であればその魅力度は 古いもの>新品 となります。

別の製品であればその魅力度は 古い製品>新しい製品 となります。

また、前述の「人のエネルギーは人がいないと(使っていないと)抜ける」という理論から、

人の手が掛かった古い製品>打ち捨てられた古い製品 となります。

品物にエネルギーが宿っていると考えれば、若い人が自分より年上の古いトラクターに惹かれる理由も説明がつきますね!

以上証明オワリ・・・なんちゃって!

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