1年が経ってしまった

農地・水・環境保全向上対策支払金制度 地震当日の夜
地震当日の夜 余震に揺すられ、ラジオからはにわかに信じられないような情報ばかり、ほんとうに「非日常」でした。

地震が起きてから1年が経ちました。1年もなのか1年がなのか、昨日のようでもあり、ずいぶんと昔のようでもあり・・・ただ、同時刻には大洗の港の船が一斉に汽笛を鳴らしたそうですし、当日と同じように防災無線がなにか言っているのを聞くとやっぱりその時のことを思い出します。

夜になれば「1年前の今頃はテントで余震に揺すられてたんだよね」などと家人と話しました。停電で町の灯りはなく、すごく星がきれいだったのを覚えています。

翌日にはブログをアップしているので、多分燃料や食料、水の確保をする以外はヒマでそんなにやることはなかったのでしょう。ラジオの情報は広域の情報ばかりで、燃料や水情報などで頼りになるのは結局口コミでした。

結果としてすぐ傍まで津波は来ていたわけですが、大津波警報が出ていても「そんなわきゃねえだろ」と、当時は深刻に考えていませんでした。そのために高台から子供たちを連れ帰ってしまったりミスをたくさん重ねています。

地震の瞬間や1年近くたってから目立ち始めた空き地を見て「形あるものってなくなっちゃうんだっ」と思いましたが、一方でようやく少なくなってきた屋根のブルーシートや新築の家を見ると「同じものではないけれど、違う形でまたできるんだなあ」とも思います。

「もの」は復活するけれど亡くした人は決して帰ってきません。まだ1年で考えがまとまってはいませんが、情報を得る方法も含めてその生かし方を考えていかなきゃ・・・と思います。

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